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2020.3.13

破壊的新時代の独習力

キャメル・ヤマモト氏の心に響く言葉より…

20年近く前、2年半ほど、私はシリコンバレーで働いていました。

そのとき、ベンチャー企業とその周辺での、組織のつくり方、人々の働き方、キャリア形成、技術のとらえ方、お金の動き方、それらのベースにある考え方や行動のお作法など、ほとんど日本と真逆といっていい情景を、日々目の当たりにして、彼我(ひが)の差異を痛感しました。

彼らのお作法とは、若い人中心で、人間関係や組織がフラットで、スピーディで、個人の才能を大切にしつつ協働を重視するということです。

肩書きがどうだとか、出身地・学校とか、性別やLGBTかどうかなどは気にせず、能力の中身と価値観と目的で判断するということです。

一言でいえばしがらみがないのです。

過去にしばられないで、未来に向けて、若い人たちが動きたいように動くということです。

そこには慎重さのかけらもありません。

そのくせ、お互いに対するリスペクトは極めて高いですし、コラボレーションするのが当たり前で、「みんなで渡ればこわくない」みたいなリスクテイクします。

個性や自律性も高いのですが、一匹狼で、なんでも自分でやる、といことではまったくありません。

個性や自律性が高いくせに、他の人とコラボすることを当然のことと考えています。

日本だと協力的な人はどちらかというと個性が弱く、調整ばかりしている人になりがちです。

個性が強くて、だからこそコラボする、というこの組み合わせが肝です。

20年前のこのようなシリコンバレーの文化は、新時代の先端を走る破壊者たちの像と重なります。

確かにこの20年で、技術は格段に進歩していますが、組織・人材・能力などソフトな面のOSは20年前から続いています。

むしろ、脈々と続くシリコンバレー流の文化こそ、不断に新しい技術や製品やサービスを生み出す遺伝子といってもよいでしょう。

このようなシリコンバレー型の組織・人材・働き方・考え方・動き方・協働などが、これからの時代には適合的です。

シリコンバレー型といってしまいましたが、正確にいうと、「ネットワーク型」の「組織・人材・能力・行動」です。

これに対比されるのは「階層型」の「組織・人材・能力・行動」です。

たとえば日本人企業(日本人が中心になっている企業でグローバル企業も含む)は、依然として階層型組織です。

新卒大量採用に始まり、先輩・後輩という秩序が保持され、能力主義といっても年功的秩序を崩さない範囲内にとどまり、キャリアは社内で形成されるのが相場です。

概して高齢の人たちが権限をもっているせいか、組織も老化し、意思決定や動きのスピードが落ちています。

安定はしているのですが、安定は安全を意味しないのが破壊的時代のおそろしいところです。

ニーアル・ファーガソンというイギリスの歴史学者が書いた「広場とタワー」という本で、シリコンバレー型のフラットなチーム・ネットワーク組織と、従来型の改装組織を対比し、画像的に鮮やかに示しています。

ネットワーク広場で、この間まで、元気に広場を行きかっていた若い人たちが、しばらく前からタワーに入り、修行することになります。

破壊的な新時代の前であれば、タワーでの階層的な秩序やお作法を身につけることが社会人になることでもあり、ビジネスパーソンになることでもあり、一種の通過儀礼として必要なことでした。

ところが新時代は違います。

若い人にとって、階層組織の作法をある程度学ぶことは必要ですが、それに染まったらアウトです。

もともともちかけていたネットワーク的な考え方や感性や動きや人間関係に、さらに磨きをかけるべきなのです。

これまでのネットワークを、もっとグローバル化するとか、異なる世代との間にも広げるとかです。

会社は、そういうネットワーク拡大のためのプラットフォームとして活用すべきなのです。

時代遅れのタワーに住み続ける先輩たちは、自信のあるよい先輩でも、いや、むしろ健全な自信をもった人ほど、「こういう場合はこうやるんだよ、たとえばおれが○○部で、××顧客を相手にしていたときこんなことをやった」という昔話を教えてくれます。

あるいは部長とか役員とか社長とか、そういう人の逸話を話してくれます。

階層社会では、昔、こういうふうにやってうまくいったという知識や経験がパワーの源泉であり価値の源泉です。

ですから彼らがそいう話をするのに悪意はありません。

ところが、残念ながら時代に断層ができて変化している今、「こういう場合」という前提がなくなっています。

昔の状況でやった話はあくまで階層組織の時代の話です。

新時代においては格差がさらに拡大するといわれています。

人材が価値創造者(新時代のスマート蟻)と価値消費者(キリギリス)とに大きく分かれるという見方も出てきてきます。

典型的ないい方をすれば、前者は今までよりもっと仕事をして、仕事を人生の中心的な楽しみをする人であり、後者は消費を中心にして仕事は必要悪の手段としてとらえる人です。

価値創造者は、仕事が遊びになって、働く時間も遊びの時間も境界なく、クリエーションに没頭し自分の物語を生きる人たちです。

『破壊的新時代の独習力』日本経済新聞出版社


本書の中で「独習」についてこんな話があった。

『独習の具体的方法を、グローバル系コンサルティング企業のデジタル部門を、日本で立ち上げた知人のIさんから聞いた話を紹介します。

そのIさんが文学部出身と聞いたとき、私は少々驚きました。

Iさんの話を要約するとこんな感じです。

●今ほど、新しい専門性を身につけやすい時代はない。

●専門性を新しく身につけるのは3つのことが必要だ。

《大量のインプット》《アウトプット》《できる人相手のスパーリング》

「大量のインプット」とは、いわゆる教科書でなく、YouTube上の動画や検索で出てくる論文を読みまくればよい。

「アウトプット」は、知り合いや同僚の会話に、新しく学んだことを織り込んだり、ブログを書いたりして発信すればよい。

「スパーリング」とは、その分野に強い人に、独習中に浮かぶ自分の仮説をぶつけて、フィードバックを得ればよい。

文学部で外国語を学んだIさんは、プログラミングも、言語習得と本質は同じだといいます。

Iさんの場合には、もともと読書ばかりしているという特徴というか、強みがあります。

Iさんは読書を通じて、いわゆるリベラルアーツの素養(教養)があるわけです。

彼と一緒に仕事ををしていると、テクノロジーの話の中にアートの話や哲学の話がすっと入ってきます。

彼は日ごろ書き溜めているインプットやアウトプットを元に、その場で物語を組み立てる名人なのです。

この教養部分も、ほとんどが読書を通じた独習だそうです。

根底には独習力があるというわけです。

それがテクノロジー面での知識習得に表れたり、教養面での知識習得に表れたりしています。

ちなみに、書かれたものを読み解くと言う意味での読書は、独習の古典的な姿です。』

独習の基本は読書。

そして、読んだ本やSNS上の情報をブログなどでアウトプットして、実践に生かす。

この繰り返しが独習。

古来、読書は最も効率のよい学習法だと言われる。

著者が何日もかかって得た知識や情報が、その本に詰まっているからだ。

まさに、破壊的大変化の時代。

自らの独習力を高めたい。



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