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2019.8.4

変えてゆく主人公は私

正法寺住職、愛知専門尼僧堂堂長、青山俊董氏の心に響く言葉より…

京都駅で拾ったタクシーの運転手が語りかけてきました。

「ご出家さんですね。お話をさせていただいてもよろしゅうございますか」と。

「どうぞ」と私は答えました。

「私は高校三年生の三学期に両親を亡くしました。

町会で河豚(ふぐ)を食べに行き、その毒にあたって一晩で亡くなりました。

いつもなら母親が早く起きてお弁当を作ってくださるはずなのに、いつまで経っても音一つしないので、“おかしいなあ?”と思って、両親の部屋の戸を開けてみました。

二人ともさんざん苦しんだあとを止めて息が絶えておりました。

驚いて電話に走り、親戚の者が駆けつけて葬式は出してくれました。

借金はありませんでしたが、一銭の貯えもありませんでした。

私の下に五歳の妹がおりました。

父が出征しておりましたから、年はなれて妹ができた訳です。

高校三年の私と五歳の妹では家賃がとりたてられないであろうというので、家主が追い出した。

私は五歳の妹を連れ、最小限度の荷物を持ち、安い六畳一部屋を借りて出ました。

両親に代わって妹を育てなきゃならないと思って、私は夢中になって働きました。

朝は新聞配達、昼は勤め、夜はアルバイトとメチャクチャ働いて、二十二、三歳のときには、安いアパートを買うほどの金は作りました。

その間、私は働くことしか考えていませんでしたから、洗濯も炊事も掃除も何もしませんでした。

五歳の妹がしたことになります。

妹に勉強机の一つも買ってやりたかったのですが、六畳一部屋に食卓と勉強机と二つおくと寝るところがなくなるから、妹はかわいそうだけれど食卓を勉強机に兼ねてもらいました。

狭い家で育ったから妹は整理の名人になり、今大きな家にご縁をいただいておりますが、きれいに整頓されております。

考えてみましたら私なんか、もし両親が元気でいてくれたら、今ごろ暴走族か突っ張り族か、ろくな人間にしかなっていなかったと思います。

もし両親が死んでくれても、金を残してくれたら今の私はなく、また妹がいなかったら淋しくでぐれていたでしょう。

両親はいない、金はない、幼い妹がいる。

私は本気にならざるを得ませんでした。

私を本気にしてくれ、一人前の大人にしてくれ、男にしてくれたのは、両親が死んでくれたお陰、金を残してくれなかったお陰、家主が追い出してくれたお陰、幼い妹をつけてくれたお陰と思い、毎日両親の位牌(いはい)に感謝の線香をあげております。

何もかも私を一人前の大人にするためのおはからいと感謝しております。

ただ一つ、妹がよいご縁をいただいて花嫁衣裳を着たときは泣けました。

両親に見せたかった。

それで私は一つだけ頼んでいることがあるのです。

“自分の子供が一人前になるまでは命をください”と」

わずか三十分ほどの間の話でしたが、どんな立派な方の話よりもすばらしい話を聞くことができ、心から「ありがとう」といって車を降りました。

お釈迦さまは、この世の中には四種類の人がある、と説かれました。

「闇から闇へゆく人、闇から光へゆく人、光から闇へゆく人、光から光へゆく人」と。

人生の幸、不幸を、光とか闇という言葉で表現することができるでしょう。

一般的にいって闇としか思えないことを、両親が死んでくれたお陰、金を残してくれなかったお陰、家主が追い出してくれたお陰、幼い妹をつけてくれたお陰で、本気になれた、一人前の大人になれた、と全部「幸い」と受けとめ、光へと転じているよい例といえましょう。

この四種類の人の話から二つの教えを学ぶことができる、と、唯識学の泰斗の太田久紀先生は語ります。

一つは「人生、変えてゆくことができる」ということ。

ただし闇から光へと変えるのはよいが、光から闇へは変えたくありません。

二つめは「変えてゆく主人公は私であり、その私の今日只今をどう生きるかにかかる」ということです。

親子、兄弟、夫婦、どこかに代わってもらえるような甘えがありますが、人生は絶対に代わってもらうことも助けてもらうこともできません。

私の人生をどう築きあげてゆくか、どう変えてゆくかの主人公は私でしかないのです。

心して自分自分の人生を光あるものへと転じてゆきたいと思います。

『泥があるから、花は咲く』幻冬舎


松下幸之助氏の有名な話がある。

『家が貧しかったために、丁稚(でっち)奉公に出されたけれど、そのおかげで幼いうちから商人としてのしつけを受け、世の辛酸を多少なりとも味わうことができた。

生来体が弱かったがために、人に頼んで仕事をしてもらうことを覚えた。

学歴がなかったので、常に人に教えを請うことができた。

あるいは何度かの九死に一生を得た経験を通じて、自分の強運を信じることができた。』(人生心得帖)より

貧しかったから、身体が弱かったから、学歴がなかったから、九死に一生を得た経験があるから、自分は運がよかった、と。

100人いれば100人ともが、悲惨だ、不運だと思えるようなことに対しても、「そのお陰で今の自分がある、ありがたい」とお陰さまと感謝の気持ちで生きている人は、とてつもなく徳を積んでいる。

生まれながらにして豊かな人は、その幸せに気づかない人が多い。

だから、少しでもそれが不足すると、不平不満や愚痴、泣き言が出てしまう。

今ある幸せに感謝できるのか、不足しているものをあげつらい文句を言うのか。

「変えてゆく主人公は私」と思い定め、人生を、お陰さまと感謝の気持ちで生きてゆきたい。



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