2020.7.27 |
|
渋沢栄一の第三の道 |
|
向谷匡史(むかいだに ただし)氏の心に響く言葉より…
令和元年という新時代の幕開けに紙幣刷新が発表され、「新一万円札」の図柄に選ばれたのが、この渋沢栄一である。
メディアは、渋沢栄一が何者であるかをこぞって取り上げ、「近代日本資本主義の父」と改めて紹介した。
その功績は、渋沢が設立に関わった著名企業を概観しただけで一目瞭然である。
第一国立銀行(現みずほ銀行)を初め、東京ガス、王子製紙(現王子ホールディングス)、東京海上火災保険(現東京海上火災)、秩父セメント(現太平洋セメント)、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、麒麟麦酒(現キリンホールディングス)、サッポロビール(現サッポロホールディングス)、東洋紡績(現東洋紡)、大日本精糖、明治製糖、帝国ホテル、澁澤倉庫など多種多様で、その数は五百社以上にのぼる。
渋澤なくして日本産業界の発展はあり得なったと言ってよい。
P・F・ドラッカーと言えば「経営の神様」として知られる著名な経営学者だが、そのドラッカーが「渋沢は思想家としても行動家として一流である」と絶賛するほどに、渋沢は近代日本の発展のために力を尽くした巨人なのである。
だが、渋沢の素晴らしさは実業家としての先見の明や経営手腕だけでなく、「生き方」と「思考法」にあることを見落としてはならない。
渋沢は著書『論語と算盤(そろばん)』で、「ビジネスは論語(道義)に則って為すべきである」と、経営哲学を説く。
ひらたく言うと「金儲けと道徳は相反するように受け入れられているが、それは間違いである」ということだ。
両者は矛盾などせず、論語(道徳)に則ってビジネスすることが結局は利益につながるとする。
彼の思考法は「金儲け」と「道徳」という一見、矛盾の関係にあるものを統合し、より高みの視点から見ることにある。
すなわち、私たちが渋沢から学ぶべきことは、「二者択一」というデジタル思考にとらわれず、相反するように見える事柄を統合し、Win−Winの関係にもっていく、その思考法にある。
現代は「ゼロサム社会」だと言われる。
ゼロサムとは本来、加算してゼロになるという意味だが、マーケット(市場)においては、一方が利益を得れば、もう一方は損をするということから、プラスとマイナスを足せばマーケット全体としてはゼロになるとする。
つまり、富という総体を一定と考え、マーケットはその“分捕り合戦”という考え方で、Win−Winの関係にはならない。
この思考法がマーケットのみならず、私たちの人間関係や人生観に大きく影響し、「得をする人間」と「損をする人間」、「成功する人間」と「落後する人間」、「幸せになる人間」と「不幸になる人間」はゼロサムになると考えてしまう。
人を押しのけ蹴落として生きていかない限り、自分の成功も幸福もないという価値観である。
前述した二者択一のデジタル思考とは、このことを言い、私たちは人生はそうしたものであると思い込んでいる。
だが、渋沢の言説を深く読み解いていくと、目からウロコが落ちるように、ゼロサムではない「第三の思考法」があることに気づかされるのだ。
「富や地位を求めることは人間の自然な欲求であり、決して悪いことではない。
まっとうな生き方によってそれがもたらされるなら、進んでそれを求めるべきだ。
ただし、自分さえよければいいという道理に背いた生き方であるなら、豊かさが社会全体に生き渡ることなく、結果として自分も不利益をこうむることになる。
「社会全体」を「ビジネスパートナー」に置き換えて渋沢の言葉を読み解けば、「相手の利益=自分の利益」というゼロサムとは違う思考法となり、これぞWin−Winという「ビジネス哲学の王道」になる。
「まっとうな生き方によって得らえるならば、どんなに賤(いや)しい仕事についても金儲けをせよ。
しかし、まっとうではない手段をとるくらいなら、むしろ貧賤でいなさい」
という言葉を「職業に貴賤なし」の視点で読み解くと、
「職業に貴賤なく、稼ぎ方に貴賤あり」
という、まさに私たちが肝に銘じるべき生き方・処し方になるだろう。
仕事で行き詰ったとき、人生の難問に直面して八方塞がりになったとき、ビジネスで攻めに転じるとき、渋沢の思考法は「第三の道」を探す灯明となると確信する次第である。
『渋沢栄一「運」を拓く思考法』青志社
二者択一というのは、西洋的なゼロサムの考え方。
しかし、第三の道があり、損か得かでいうなら、自分も得をして相手も得をするという考え方だ。
近江商人の心得「三方良し」でもある。
「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」という考え方。
ゼロサムは、「あちらを立てれば、こちらが立たず」という両方が納得し喜ぶようなことは難しいと考える。
しかし、「あちらも立て、こちらも立てる」ということ。
とかく、何かを達成するには、自分が「我慢する」とか、「犠牲になる」ことが必要だと言われる。
それはたとえば会社でいうなら、「給料を上げながら、労働時間を減らす」、「利益を増やしながら、生産性を上げる」というような考え方だ。
それは、仕組み化だったり、IT化だったり、副業化(会社としての)だったりする。
まさに、渋沢栄一の著書「論語と算盤」も同じで、「論語」も大事、「算盤」も大事と、二者を両立させることだ。
二者択一ではなく、第三の道を模索したい。 |
|
|