2020.7.14 |
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時代は変わったんだ |
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斎藤一人さんの心に響く言葉より…
お年寄りがいっぱい遊びにくる店を作る。
それは、お年寄りがいっぱい遊びにくる電器屋を作る、ということではありません。
あなたが、もし、布団屋をやっているのだとしたら、お年寄りがいっぱい遊びにくる布団屋を作る、ではない。
「一人さん、何をいいたいんですか?」って、布団だったり、電化製品というのは、めったやたらと買い替えるものではないのですね。
そうすると、「めったに買ってくれないから、何をやってもダメなんです」という人がいるのだけれど。
めったに買ってくれないものを売っているのなら、それと一緒に、しょっちゅう買うものも売ったらどうですか?
お年寄りがいっぱい来る店を作るのだから、たとえば、お年寄りが好みそうな食べものを売ったり、洋服を売ったり、赤いちゃんちゃんこが売れるんだとしたら、テレビや洗濯機の隣に、赤いちゃんちゃんこをかけておけばいいのです。
それから、今、お年寄りでも入れる生命保険とかがありますよね。
その代理店になることもできるでしょ。
お年寄りのことを考えて店をやるのだから、お年寄りが喜びそうな商品も置いておく。
これが、商人の眼力です。
ところが、「自分は電器屋だ」と思っている人は、電化製品しか扱わない。
ずぅーっと、電器屋にこだわるのは、お年寄りを喜ばす眼力がないのです。
でも「電器屋」の枠をとっぱらって、お年寄りが喜びそうな商品・サービスを提供するということになってくると、ヘンな話、「観音参りツアーでも作ろう」とかいうアイデアも出てきますよね。
それとね、「おばあちゃんの原宿で」有名な巣鴨の商店街へ行くと、お年寄りの肌着とか、そういうものと一緒に、孫に買ってあげたいようなものも売ってるの。
こういうのが眼力。
来てくれるお年寄りが喜んでくれる店になればいいの。
わかりますか?
先代が電器屋をはじめた頃、ウチは儲かっていた、って。
それも眼力です。
先代に眼力があったんですよね。
だけど、時代は変わったのです。
「ウチは電器屋だから」といっててもいい時代ではなくなってきているのです。
それを見抜くのが眼力。
この眼力以前に、本当は、この世の中に「電器屋は電器屋しかやっちゃいけない」という法律はないのです。
商人なんですよ、あなたは商人なのです。
わかりますか?
これも眼力ですよ。
「自分は商人だ」と思えば、ホントに、なんでも売れるんです。
それで、思わぬ人が、すごいお金持ってるんです。
100万円ぐらいする健康器具をポンと買っちゃうようなお年寄りって、いるんですよ。
実は、お年寄りのなかには、何百万とか何十万もするようなものを買えるぐらい、お金を持っている人がたくさんいるんです。
だけど、必ず人にいうことは「わたしゃ、年金ぐらしだからねぇ」って(笑)。
だから、日本にはお金があるんです。
それも、見抜かないといけない。
いろんなことを見抜く力が必要なんです。
ほとんどの人は、今まで、見抜く、ということをしてこなかったと思います。
テレビを見るとか、新聞を読むというのは、情報を入れているだけです。
情報を入れることも大切だけど、入れるばっかりで見抜くことがなかったら、情報なんかいくらあってもムダ。
それが証拠に、あなた、情報にふり回されてばかりいるでしょ?
だから、その見抜く訓練として、「なぜ、子どものときに郵便貯金させらえたと思いますか?」とか、「なぜ、日本人は英語がしゃべれないんですか?」とか、私はいってたの。
こういうことを知るうちに、だんだん「これはなんだろう」と考えるクセがついて、見抜く力がつきだしてくる。
だから、世間やテレビが、いくら「ヤ〇ダ電機みたいな家電量販店が日の出の勢いで伸びてる」といっても、自分の店が小さいところだからって、ガッガリしちゃいけないよ。
一時、日の出の勢いで銀行も伸びていたんですよね。
だけど、今、銀行は落ち目です。
つぶれちゃった銀行もあるでしょう?
それから、前は、デカイ会社がすっごくよかったけれど、今、人を何人も雇っているところは苦しいんですよ。
要するに、時代はめぐるんだ、っていいたいんですね。
だから、町の電気屋が有利な時代が来るんです。
ただ、そういう時代が来ることは来るのだけれど、経済には「同じ法則は絶対たどらない」という法則があるのです。
だから、昔のまんまのやり方でやってたところが、よくなることはないんです。
わかりますか?
昔のままの町の電器屋がよくなることはないのです。
『眼力(CD付)』サンマーク出版
斎藤一人さんはこう語る。
『私は、めったに自分の会社には行きません。
なぜかというと、私が会社に行くと、社員がみんな「一人さん、話を聞かせてください」って集まってきちゃうのです。
本当にうれしいんだけど、そうなると、みんなの仕事の邪魔をしちゃって、申し訳なくてね。
「社長が会社にいなくて、いいんですか?」って、いいんです。
社長の仕事は、一個です。
給料日に給料を渡す。
これしかありません。
あなたの会社の社長さんがこれをやりつづけているなら、立派な社長です。
そして、社長というのは、従業員にちゃんと給料を渡すために世の中を見抜くのです。
「今の世の中はどうなんだろうか」
「このまま行くと、この世の中は、どうなるんだろう」
いまがわかって、次にどういう時代が来るかがわかれば、先に備えをして待っていれば経営はうまくいきます。
そのことと、社長が会社にいることは別なんだ、というのが一人さん流です。
でも、世間は違います。
ヨソの社長さんは、毎日、会社にいます。
そのうえに、従業員より早く会社に出て、最後まで残って働いています。
そういう社長さんを「エライ社長だ」と、世間の人はいうのですね。
なぜ、そう思うようになったのかを見抜いてみましょう。
それは、日本の会社のほとんどが下請けだからです。
下請けの会社の人たちは、体や技術を使って働く「働き者」です。
わかりますか?
親会社は、自分のところで人を雇うよりも、下請けに出したほうが安いし、効率がいいから、出しているんですよね。
すると、安いから、下請けの人たちは「親会社より、うんと働かないと食べていけない」ということになってきますよね。
なおかつ、親が会社から「あなたの会社で、これ作って」と、仕事を渡されます。
お客さんが仕事を考えてくれるから、頭を使うのが仕事ではない。
「働き者」が仕事なのです。
その「働き者」の代表が社長であって、みんなより「うんと働き者」の社長が「エライ社長」とされていたのです。
ところが、今になってみたら、親会社から仕事が来ない。
いくら「働き者」でも、仕事が来なかったらお給料が出ません。
何をいいたいのかというと、自分で頭を使って仕事を考え出さなきゃいけない時代が来たんだ、って。
仕事を考え出せる社長でなきゃ、生き残っていけなくなってきているのです。
この眼力があると、社長を見る目が違ってきます。
「ウチの社長はホントにいい社長なのかどうか」といったとき、社長が朝から晩まで外を出歩いていてもいいのです。
外にいても、仕事を考え出すか、仕事を取ってくれば、それでOKなんです。
朝から晩までずぅーっと会社にいたって、仕事がなかったら、いてもしょうがないでしょう。
そして、社長さん、よろしいですか?
時代というものは、変わります。
そのとき、社長は社長で「世の中は変わったんだ」という眼力を持っていないと、今までの成功例をいくら並べても、うまくいかないのです。』
時代は恐ろしい勢いで変わる。
そして、元には戻らない。
進化し続けるからだ。
特に、このコロナ禍の後は、変われる人と変われない人では大きな差がつく。
そして、もし、変われないとしたら、ガラパゴスの人となり、衰退し結局は存続できない会社となる。
時代は変わったんだと、肝に銘じたい。 |
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