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2020.7.12

人生は楽しむためにある

小林正観さんの心に響く言葉より…

「人生は修行の場である」

「修行することが目的である以上、人生には苦しみや悲しみが多くて当然だ」

「人生は、辛く悲しいものの集積である」

と考える人がいます。

「目の前の出来事はすべて『修行』のために存在している。

悩みがあるのは当たり前だ。

だからこそ、立ち向かったり、我慢や忍耐をしたり、乗り越えたりしなければいけない」

そう考えることで、もしあなた自身が生き方がラクになるのであれば、「人生=修行」ととらえても、別にかまわないでしょう。

ただ、「宇宙の構造」は違います。

人生は「修行の場」として設定されているわけではありません。

人生は、「喜ばれるための場」であり、「感謝をする場」であり、なによりも、「楽しむため」に存在しています。

「人生は苦しみに満ちている人と悲嘆にくれてばかりの人」や、「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句ばかりの人」に比べれば、人生を「修行の場」と位置付け、「乗り越えていくしかない」「我慢するしかない」と考えている人のほうが、まだ一歩も二歩も前進していると思います。

でも、それではまだ、「途中の段階」。

私たちが「肉体を持ってこの世に生まれてきた理由」は、「人生を楽しむため」にほかなりません。

現象はすべて「ゼロ(中立)」です。

どのようにとらえるかは、結局のところ、あなた次第。

「第13回バン・クライバーン・国際ピアノコンクール」で優勝した(日本人初)ピアニストの辻井伸行さんは、「全盲」というハンデを背負っているのです。

けれど辻井さんは、「今までつらいと思ったことが一度もなく、楽しくピアノを弾いてきた」と受賞後の記者会見で話しています。

目の前の出来事を「修行のために存在する」ととらえ「だから耐えなければいけない」と意気込むのもかまいません。

けれどもし、「人生は楽しむためにある」と認識することでラクになるのであれば、そのようにとらえてもよいと思います。

『もうひとつの幸せ論』ダイヤモンド社


多くの偉人伝や、成功者の話を読むと、幾多の試練や、筆舌に尽くしがたい苦労の連続を乗り越えたのちに、その成功した姿があると一様に書いてある。

まさに、波乱万丈、山あり谷ありの、まるでドラマのようにストーリーが展開する。

しかしながら、そのような起伏の激しい一生を送ってこなかった人もいる。

いわゆる平々凡々と静かな人生を過ごすことができた人だ。

大成功もしなかった代わりに、大失敗もせず、浮き沈みの激しい人生も経験しなかったということだ。

すると、「人生は修行のために存在する」という人たちからは、「苦労が足りない」とか「困難を乗り越えた経験がない」、だからダメなんだ、などとバカにされることもある。

そして、「ノーテンキ」、「極楽トンボ」などとののしられることもある。

しかし、「人生は楽しむため」に存在するのだと思うなら、平々凡々の人生こそ、ありがたくて、しあわせで、たのしくて、ツイていて、感謝の人生となる。

戦時下の困難な時代に生まれた人たちには、その時代に生まれてきた意味がある。

今この時代にゆたかな日本に生まれたなら、今この時代に日本に生まれてきた意味がある。

困難や苦労を乗り越えなければ、幸せは手に入らないのではない。

幸せに気づいた人が幸せなのだ。

「人生は楽しむためにある」という言葉をかみしめたい。



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