2020.5.18 |
|
魚は努力して泳いでいるわけではない |
|
西沢泰生(やすお)氏の心に響く言葉より…
ビートたけしさん、海外でよく「映画監督なのにタレントもやっていて、努力していますね」と声を掛けられることがあるそうです。
このことについて、以前にたけしさんがテレビ番組の中でこんなことを言っていました。
「魚は努力して泳いでいるわけではない。俺も魚のように泳いでいるわけで努力はしていない。生き方なんだよ」
プールで泳ぐ人に対して「よく泳ぐねぇ」「うまいねぇ」と言う人はいても、プールで泳ぐ魚に同じことを言う人はいません。
魚にとって、「泳ぐこと」は努力でもなんでもなくて、「泳いでいないと死んでしまう」というだけのことなのですね。
「魚じゃなくて人間がプールで泳いでいるから努力しているように見えるだけなんだよね。
だからオイラ、『その商売の魚になれ』って思うんだよね。
プロとして当たり前にできるっていうことが、何にでも必要だと思うんだ」とたけしさん。
「魚になれ」って、別に魚の形の帽子をかぶって、「そうでギョざいます!」なんて言え、というわけではありません。
「自分の仕事のプロ」として、努力を努力と感じず、また、努力だと周りに感じさせないレベルになれ、ということです。
ホームラン本数世界一の王貞治さんは、合宿所の部屋で寝る前に必ずバットの素振りをしたそうです。
同室の選手が「どうして寝る前にまで素振りを?」と聞くと、王さん、こう回答したのだとか。
「バットを振らないと眠れないんだ!」
これなど、努力が「魚の泳ぎ」のレベルに達していたという実例ですね。
『1分で心に効く 50の名言とストーリー』大和書房
「十年偉大なり、二十年恐るべし、三十年歴史なり、五十年神の如し」という中国の格言がある。
文字通り、続けることのすごさ、継続の大切さを伝える言葉だ。
長期にわたって何かを続けることができるということは、それが苦になっていないということだ。
努力してなんとかこなしていくというレベルだと、一年や二年は続くかもしれないが、二十年や三十年は続かない。
つまり好きだからできること。
プラモデルやゲームなど、好きな趣味の世界は、何時間それをやり続けてもぜんぜん疲れない。
もしそれが仕事だったら、仕事が成功する確率は俄然高くなる。
何しろ、何時間でも、何日でも、たとえ寝なくても、そのことに没頭できるのだから。
東大教授で、山林王として巨万の富を築いた本多静六翁は、それを「仕事の道楽化」と言った。
道楽とは、熱中して楽しむこと、趣味として楽しむことだが、仕事の趣味化、ゲーム化ということだ。
「楽しんでいれば、お金は後からついてくる」と本多翁は言う。
「魚は努力して泳いでいるわけではない」
努力を努力と感じず、また、努力だと周りに感じさせないレベルになりたい。 |
|
|