2020.5.12 |
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私の武器は無知 |
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浜松医科大学名誉教授、高田明和(あきかず)氏の心に響く言葉より…
何か他人に尽くし、それがその人に感謝されなくても、私たちの業に貯金されますから、そこから褒美が返ってくるのです。
運がよくなり、評判がよくなるのです。
これは、他人に嫌なことをした場合も同じです。
私も他人の悪口をいったことがあります。
不思議なことにそれが回り回って、自分の耳に返ってくるのです。
まるで一周回ったかのようです。
そしてその悪口が本人に聞こえたかのような結果になりました。
その人と私の関係が悪くなったのです。
それが「悪因悪果(あくいんあっか)」です。
このように、人の行い、人の言葉というのは、因縁の渦の中で回り、最終的にはすべて自分に還ってくるのです。
偶然助かったとか、あれが起こったら大変なことになったのに起こらなかった、などと胸をなで下ろした経験はないでしょうか。
一方、その大変なことは別の人には起こっているのです。
だから、自分にそのことが起こらなかったと安堵するのです。
じつはこれは、私たちがなした徳の結果がこのように表れたのだと思っています。
何か他人に尽くした時に、すぐにお礼をいわれ感謝されるのと、万一の偶然に奇跡的に助かるのとどちらがよいでしょうか。
もちろん後者でしょう。
このように考えると、自分が他人にしたことが、他人にはあまり理解されず、感謝もされないけれども、徳を積んだおかげで自分や家族に不運が来ない方がはるかに恵まれていると考えないわけにはいきません。
ですから、「恩を仇で返された」などと怒ることはないのです。
恩を与えたその人などはたいしたことはないのです。
もっと重要なことで幸運に恵まれた方がどのくらいよいかわかりません。
何かをする時に相手に感謝を求めるよりも、それが自分の幸せになると考えるべきです。
『困ったことは起こらない 禅が教える“無限の力"』きこ書房
「天の蔵に徳を積む」という言葉がある。
人に知られず陰徳を積むと、それは天にある蔵に少しずつ貯まっていく、というのものだ。
誰かに怒られたり、イラっとすることがあったり、お礼を言われなかったり、嫌なことがあったりすることも、徳積みになる。
その蔵に徳がたまると、自分や、家族やまわりに徳のお返しがある。
徳のお返しとは、運がよくなるというより、むしろ不運なことが減るということ。
人生においては、幸運と不運は交互にくると言われる。
幸運ばかりが続く人、不運ばかりが続く人はいない。
しかしながら、不運を減らす方法はある。
その一つが、「天の蔵に徳を積む」という方法。
もう一つの不運を減らす方法は、自ら苦労を取りにいくこと。
さらなる努力したり、頼まれごとを引き受けたりして、自分を高め、世のため人のために尽くすこと。
これは、リタイアして一線を退いた人に特に言えることだ。
仕事や家族があり、一線で動いている人は、それは自然にできている。
苦労を求めなくても、ほとんどの人は普通に苦労は次から次へとやってくるからだ。
ただし、ここで大事なことは、嫌なことや苦労がやってきたとき、文句や愚痴や泣き言を言ったりしないこと。
嫌なことがあったとき、それに猛然と言い返したり、徹底的に議論して言い負かしたりしないこと。
文句を言った途端、天の蔵の徳は一気に消えて無くなってしまう。
そして、むしろ逆に、その苦労に対して、感謝する人がいる。
すると、その人の天の蔵の徳は、何もせずとも自然に増える。
運がよくなり、評判がよくなる方法を身につけたい。 |
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