2020.5.1 |
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国や会社が崩壊するとき |
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藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
日本には二百年以上続いている会社が三千社ある、という。
五百年以上続いてきた会社は百二十四社。
千年以上というのも十九社あるというから、日本の企業の長寿力は世界の中でも群を抜く。
五百年、千年続くとなると、常に未来をひらいていかなければ叶わない。
時代の激流に流されず、その時代その時代に深く根を張り未来をひらいてきた企業には、どういう特長があるのだろうか。
老舗を研究してきた田中真澄氏は、老舗に共通する精神を二つあげている。
一は「地味にコツコツ泥臭く」。
二は「おれがおれがの“が”をすてて、おかげおかげの“げ”で生きる」。
「ビジョナリー・カンパニー」の著者は、長年にわたり素晴らしい業績をあげてきた会社が衰退する理由の第一に「傲慢」をあげている。
自ら培(つちか)った成功譚(たん)にあぐらをかくときに企業は崩壊する、と言うのだ。
個人の運命も同様だ。
時代、国を超えて古の先哲が等しく説くのは、傲慢になった時、天はその人の足をすくう、ということである。
未来をひらくにはもう一つ、学ぶべき普遍の条件がある。
幾世紀にもわたってヨーロッパを制してきた大国ローマはなぜ衰退したのか。
紀元前一世紀、ローマの休日は百五十九日あった、という。
そのうち九十三日が無料の見せ物の開催日数だった。
それが紀元前四世紀になると休日は二百日になり、無料見せ物開催日数は百七十五日にふくらむ。
建国時の勤勉、質実の風はどこへやら、一年の半分を無料のパンとサーカスに明け暮れる遊民の国になった。
国民が働かなくなり、防衛は外国人傭兵に任せ、民風が堕落した。
この三つが悪循環によって、ローマは某亡国の道を辿った。
弘法大師空海の言葉がある。
「三綱弛(さんこうゆる)び紊(みだ)れて
五条廃(すた)れ絶(た)ゆるときは
則(すなわ)ち旱勞飢饉(かんろうききん)し、邦国荒涼(こうりょう)たり」
君臣、父子、夫婦の大事な道が弛み乱れ、人間として常に行うべき仁義礼智信の五つの道が廃(すた)れ絶えてしまう時は、日照りや長雨が起こり、飢饉(ききん)となり、国は荒廃する、ということである。
あらゆる荒廃は心の荒蕪(こうぶ)から起こる、と言ったのは二宮尊徳だが、その尊徳はこうも言う。
「夫我道(それわがみち)は、人々の荒蕪を開くを本意とす、心の荒蕪一人開くる時は、地の荒蕪は何万町あるも憂うるにたらざるが故なり」
自分が目指しているのは人々の心の荒蕪をひらくことだ。
一人の心の荒蕪がひらかれたら、何万町の荒れた地もすぐに豊かな地に変えることができるから憂えることはない、と言うのである。
一個人の心のありようがその人の運命の昇沈(しょうちん)を決め、一国の興廃を決める…私たちの未来をひらくエキスは、歴史に凝縮している。
『小さな修養論2』致知出版社
藤尾秀昭氏にこんな言葉がある。
『「花は香り 人は人柄」ということである。
見た目にいくら華やかで艶(つや)やかでも、造花には真に人を引きつける魅力はない。
人もまたいくら実力があっても、傲慢で鼻持ちならない人に人間的魅力はない。
まず自分を創(つく)ること。
自分という人間を立派に仕上げること。そして、徳の香る人になること。』(小さな人生論 3)より
人や会社、国が崩壊するときは、「傲慢になった」ときだと言わる。
そして、「建設は死闘 崩壊は一瞬」だ。
それは…
謙虚さがなくなり、日常の生活に感謝がなくなったとき。
今ある便利さや豊かさを、当たり前と思ったとき。
人も会社も国も、偉そうになってしまったら、魅力はない。
今一度、感謝の気持ちを呼び起こし、一人ひとりが自分を創っていくこと。
徳の香る人や会社や国でありたい。 |
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