2020.4.16 |
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生まれるのも独り、年老いるもの独り |
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曹洞宗の尼僧、愛知専門尼僧堂堂長、青山俊董氏の心に響く言葉より…
《独り来たり独り去る。一として従う者なし。》(大無量寿経)
幼な子が独り旅立った。
なげき悲しむ母をおいて。
五十余年の歳月を共に歩み、いつくしみあってきた老夫婦。
夫を残して妻は逝った。
旅立つも独り、あとに残るも独り。
独り残った老翁はつぶやいた。
「孤独地獄におちています」と。
釈尊は生・老・病・死の四苦を説かれた。
生まれるのも独り、年老いるもの独り、病むのも独り、死するのも独り。
「人は、ただ独りでそれに立ち向かっていかねばならぬものだ」ということを、唯識学の泰斗(たいと)の、太田久紀先生は、ご自分が病んでみてあらためて痛感したと語っておられる。
「独り来たり独り去る。一として従う者なし」と、すでに仏は説いておられる。
「助けてもらえるような」「助けてやれるような」というあまえを捨てて、立ち向かわねば、と思うことである。
『あなたに贈る 人生の道しるべ: 続・ことばの花束』春秋社
「我々は遠くから来た。そして遠くまで行くのだ...」
という、イタリアのパルミーロ・トリアッティの言葉がある。
我々は、この時代、この国に生まれ、今、この時を過ごしている。
独りで生まれ、そして、独りで死んでゆく。
かつての東北大震災のときは、我々は、「絆を深めよう」「手を取り合おう」「応援のためにもっと店に行こう」「みんなで集まって応援しよう」と、仲間としての温かなつながりが強く必要とされた。
しかし、このコロナ禍(か)においては、「人と距離をとれ」「近づくな」「集まるな」「不要不急なことで出歩くな」「人の集まるところには行くな」「ステイホーム」と、かつての価値観とは恐ろしいほど様変わりしている。
独りになること、孤立することをこんなにも要求されたことは、かつてなかった。
そこに何の意味があるのか?
メンタルトレーナーの梯谷幸司氏はその大きな目的を、独りになることにより「何のために生きているのか」という、問いかけを自分にするためだという。
独りになって自分を見つめなおすこと。
使命を知ること。
およそ、大事なことは、すべて独りでやらなければならない。
「生、老、病、死」は、誰に代わってもらうこともできない。
あるいは、読書も、勉強も、修行も…
『他(た)は是(こ)れ吾(われ)にあらず』
という道元禅師の言葉がある。
道元禅師が中国に留学していたとき、典座(てんぞ)の68歳の年老いた僧が炎天下黙々とシイタケを干していた。
道元禅師は、そういう仕事はもっと若い僧に任せたらどうかと言ったが、「他の人にやってもらったことは、自分でやったことにならない」と年老いた僧は答えて、その作業を続けた。
自分の「使命」は、人に探してもらうわけにはいかない。
自分で探すしかない、ということだ。
また、こんな言葉もある。
『独(ひと)りを慎(つつし)む』
君子は誰もみていないところでも心を慎み戒(いまし)める。
そして、誰も聞いていないところでも自分の言動を恐れる。
隠れて誰も分からないように思うけれども、それを長く積み重ねていくと、思いがけない時にそれが明らかになる。
これを、「慎独(しんどく)」と言って修養の一番重要な部分であり、自分を磨き、人格を高めるために必要なこと。
お天道様が見ている、ということだ。
この時期、この時…
独りになって己を見つめなおし、自分を磨きたい。
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