2020.4.11 |
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世界を変えるのは、いつも「新人」なのだ |
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瀧本哲史(たきもとてつふみ)氏の心に響く言葉より…
コペルニクスは地動説という、まさに世界がひっくり返るくらい大胆な新説を唱えました。
そして、コペルニクスの地動説はたんなる新説ではなく、動かしがたい事実でした。
実際、いまのわれわれは地動説の正しさをよく知っています。
それではいったい、当時の人々はどうやって地動説を受け入れていったのでしょうか。
20世紀を代表するアメリカの科学史家、トーマス・クーンはコペルニクスの時代を丹念に研究した結果、驚くべき結論にたどり着きました。
コペルニクスの地動説は、彼の死後1世紀あまり、ほとんど賛同者を得られなかった。
ニュートンの仕事も、主著『プリンキピア』が出てから半世紀以上、一般の支持を得られなかった。
ダーウィンの進化論だって、すぐに受け入れられたわけではない。
それでは、こうした世界をひっくり返すような新説は、いつ、どのタイミングで、どのようにして受け入れらえていくのか?
彼の結論は「世代交代」です。
つまり、天動説を信じる古い世代の大人たちは、どれだけたしかな新事実を突きつけても、一生変わらない。
なにがあっても自説を曲げようとしない。
地動説が世のなかの「常識」になるのは、古い世代の大人たちが年老いてこの世を去り、あたらしい世代が時代の中心に立ったときなのだ。
「世代交代」だけが、世のなかを変えるのだ。
…と、そんなふうに言うわけです。
トーマス・クーンは、これを「パラダイム」という言葉で説明しました。
パラダイムとは、簡単にいうと「ある時代に共有された常識」といった意味の言葉です。
文明とは、ゆるやかなカーブを描くように少しずつ発展していくものではない。
それまでの常識(パラダイムA)が、あたらしい常識(パラダイムB)に打倒されたとき、時代は次のステージに突入する。
さらにパラダイムBが、もっとあたらしいパラダイムCに打倒されたとき、時代はもう一段上のステージに突入する。
そして古いパラダイムが、あたらしいパラダイムに移り変わる(パラダイム・シフト)ためには「世代交代」が必要である。
古い世代の人たちに世界を変える力はない。
…トーマス・クーンは『科学革命の構造』という著書のなかで、次のように結論づけています。
「このようなあたらしいパラダイムの基本的発明を遂げた人は、ほとんど、非常に若いか、パラダイムの変更を促す分野にあたらしく入ってきた新人かのどちらかである」
「明らかに彼らは、通常科学の伝統的ルールに縛られることがなく、これらのルールはもはや役に立たないから外のものを考えよう、ということになりやすい」
『ミライの授業』講談社
行徳哲男氏の若者についての言葉がある。
◆若者よ。
いつの時代でも変革は若者から始まった。
疑問、覚醒、憤怒は若き者の特権だ。
安寧、規制、常識は老いた者の繰り言にすぎない
◆大化の改新、蒙古の襲撃、明治維新、どれも皆若者たちによる革命だった。
歴史とは、新が旧に、小が大に、青が老にとって代わることだ。
◆若者に失望したら国は衰える。
世の大人には、若者のアラを探し「今どきの若い者は」と揶揄したがる癖がある。
彼らと我々がどう違うかばかり考えている。
どこがどう違うかではなくて、どこがどう同じなのか探す努力をするべきである。
若者と我々がどう同じかを探したときに若者への失望はたちどころに消える。
◆今どきの若者が世の中を変えていく。
日本が救われるためには、若者と女性に期待するしかない。
パラダイムの転換、いわゆる「パラダイムシフト」が起こるとき、今までの競争のルールが変わり、競技する場所(事業領域)が変わる。
そして、とんでもない異業種の人が参入してくる。
つまり、今まで戦っていた競争相手が変わるのだ。
たとえば、デジタルカメラでいうなら、競争相手は他社のデジタルカメラだと思っていたら、それが突如スマホに変わった、というようなことだ。
これは、さまざまな業種、業界で起こっている。
あらゆる分野が、ITやAIというデジタルの世界に突入したからだ。
トーマス・クーンは、「古い世代の人たちに世界を変える力はない」という。
だが、変える力はなくても、応援する力はある。
がんばる新人、未来にチャレンジする若者を、気持ちよく応援する大人でありたい。 |
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