2020.4.8 |
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人はけっして1人では生きていけない |
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野村克也氏の心に響く言葉より…
私は高校を卒業してプロ野球選手になるとき、占い師にこう言われた。
「あなたの仕事運は、とてもいい。もし失敗するとしたら、それは女が原因です」
いまにして思えば、さすが京都で「よく当たる」と評判だった先生だけのことはある。
考えてみれば、私がまったく女の人にモテないというのは、子どものときからだった。
女子からまるで人気がなくて、盆や正月に同級生の女の子の家にお呼ばれするようなときにも、なぜか私は声をかけてもらえなかった。
貧乏でみすぼらしい子どもだったからだろうか。
そのうえ、上級生の男の子たちにはよくいじめられた。
それを見つけて私を助けてくれたのが、担任の女の先生だった。
当時、代用教員として赴任していた20歳の若くてきれいな先生だった。
先生は、私の境遇を知って、いつも何かと優しくしてくれた。
放課後は1人だけ残って先生の手伝いをさせてもらったり、おやつをもらったりしていた。
あるとき、先生は、いつも私をいじめている上級生が、校庭でみんなと相撲をとって遊んでいるのを見て、その上級生にこう言った。
「私と相撲しましょう」
先生は、その体の大きな上級生を気持ちいいぐらいに投げ倒すと、私を見て二ッコリと笑った。
先生にみんなが拍手喝采をした。
「や〜い。女に投げ飛ばられた〜」
次の日から、上級生はすっかりおとなしくなった。
そして、私はますます先生が大好きになった。
あれは、まちがいなく私の初恋だった。
「俺は将来、この先生みたいな人と結婚したい。美人で優しくて賢くて強くて、こういう最高の女性と一緒に生きていきたい」
ずっとそう思っていた。
そして、いま私の隣にいる古女房は、たしかにだれよりも強い女性だった。
しかし、それ以外は、まるで初恋の先生とは違っていた。
あの占いの先生に言われたとおり、やはり私は女運が悪かった。
この女房のおかげで、私は南海の監督をクビになり、阪神の監督もクビになった。
しかし、いまこの歳になって改めて振り返ってみると、この女房がいたらからこそ、どんなときでも野球を捨てずにがんばることができた。
あのとき、南海を追われて落ち込んでいる私に女房は言った。
「南海なんかやめたってなんとかなるわよ。あなたには野球しかないんだから、もっと野球をがんばりなさい」
そう尻を叩いてくれる人がいたから、ここまで長く野球の世界で生きてこられたのだ。
私はこう見えても気が小さくて人がいい。
そのうえ本当は怠け者だ。
そういう男は、こういう強い女に叱咤激励されなければ何ひとつ満足に成し遂げられないということを見抜かれていたのだ。
だれが見抜いていたのか。
それは神様と女房だ。
どっちも「カミさん」だ。
そう考えれば考えるほど、私は運がいい。
私は結局、仕事運にも女運にも恵まれていたのだ。
感謝、感謝である。
その感謝とは、神様と女房だけでなく、野球への感謝でもある。
野球を通じて出会ったすべての人たちに対する感謝である。
人はけっして1人では生きていけない。
私はミーティングで選手たちにそう言い続けながら、その深い意味を自分に問い続けてきた。
人は人によって生かされていると気づいたとき、人のために何かができる人間になる。
人のために何かができる人間になったとき、人は人の気持ちがわかるようになる。
人の気持ちがわかるようになったとき、私たちは人との縁や運を知る。
『運 「ツキ」と「流れ」を呼び込む技術』竹書房
運は、「運ぶ」「運送」「運搬」という字にもあるように、運ばれてくるものだ。
つまり、誰かが運んできてくれるもの。
だから、誰と知り合うかが大事だ。
運をもたらしてくれる人と知り合いになった方がいい。
しかし、結婚で言うなら、その運を運んできてくれる人は、必ずしも世間一般に言われる「良妻」だけではない。
それは悪妻でもいいのだ。
古代ギリシャの哲学者ソクラテスの有名な言葉がある。
「とにかく結婚したまえ。良妻なら幸福になれるし、悪妻なら哲学者になれる」
なぜなら、「運」には色がついていないからだ。
良妻がよくて、悪妻が悪いということではない。
これは「病気」が悪くて、「健康」がいいというのと同じ。
病気でも幸せな人はいるし、健康でも不幸な人はいる。
知り合った人との縁を、良くするか、悪くするかは、その人の考え方次第、捉え方次第。
「人はけっして1人では生きていけない」
どんなご縁も大事にする人でありたい。 |
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