2020.4.5 |
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正義中毒 |
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脳科学者、中野信子氏の心に響く言葉より…
「清純な優等生キャラで売れていた女性タレントが不倫をしていた」
「飲食店のアルバイト店員が悪ふざけの動画をSNSに投稿した」
「大手企業がCMで差別的な表現をした」
もちろん、不倫は法律上してはいけないことですし、店の営業妨害になるような動画の投稿は刑事罰につながることもあります。
また、CMなどで特定の人たちを差別するような表現を用いることも問題でしょう。
しかし、自分や自分の身近な人が直接不利益を受けたわけではなく、知りもしない相手に非常に攻撃的な言葉を浴びせ、完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめさずにはいられなくなってしまうというのは、「許せない」が暴走してしまっている状態です。
我々は誰しも、このような状態にいとも簡単に陥ってしまう性質を持っています。
人の脳は、裏切り者や、社会のルールから外れた人といった、わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできています。
他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出されます。
この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、罰する対象を常に探し求め、決して人を許せないようになるのです。
こうした状態を、私は正義に溺れてしまった中毒状態、いわば「正義中毒」と呼ぼうと思います。
この認知構造は、依存症とほとんど同じだからです。
有名人の不倫スキャンダルが報じられるたびに、「そんなことをするなんて許せない」と叩きまくり、不適切な動画が投稿されると、対象者が一般人であっても、本人やその家族の個人情報までインターネット上にさらしてしまう、企業の広告が気に入らないと、その商品とは関係のないところまで粗探(あらさが)しをして、あげつらう…
「間違ったことが許せない」
「間違っている人を、徹底的に罰しなければならない」
「私は正しく、相手が間違っているのだから、どんなひどい言葉をぶつけても構わない」
このような思考パターンがひとたび生じると止められなくなる状態は、怖ろしいです。
本来備わっているはずの冷静さ、自制心、思いやり、共感性などは消し飛んでしまい、普段のその人からは考えられないような、攻撃的な人格に変化してしまうからです。
特に対象者が、例えば不倫スキャンダルのような「わかりやすい失態」をさらしている場合、そして、いくら攻撃しても自分の立場が脅かされる心配がない状況などが重なれば、正義を振りかざす格好の機会となります。
『人は、なぜ他人を許せないのか?』アスコム
小林正観さんは「正義感」についてこう語っている。
『人間が怒ったり、腹を立てたりするのは、どこからくるのかというと「正義感」から生じていることが多いようです。
自分が正しくて、相手が間違っていると思ったときに人は腹を立てる。
相手を追及したくて、非を認めさせようと思って「正義感」を振りかざして怒っているのですが、実は誰よりも腹を立てている自分が損をする仕組みになっています。
損得勘定でいうと、あまりプラスにならないことを一生懸命やっている。
キリストの言葉にこのようなものがあります。
「裁く者は裁かれる。裁かぬ者は裁かれない。許す者は許される。許さぬ者は許されない」
投げかけたものが返ってくる。
投げかけたものが自分のまわりを取り囲んでいます。
私は、これまで、「人格」の勉強をしてきた結果、最後まで残る「怒り」「憎しみ」という感情は、実は「正義感」から発生するものであるらしい、ということがわかりました。
「人格者」というのは、正しさを「正義感」でもって振り回している人のことではありません。
真の「人格者」とは、どんな状況であっても、腹を立てない、怒らない、イライラしない。
常に「ありがとう」を言い、常に出てくる言葉が肯定的であり、常に言動で人を和らげ、穏やかにすることができる。』(努力ゼロの幸福論)
昨今は、SNSなどで、正義感を振りかざしてヒステリックになって怒ったり、誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)する人が多い。
特に、名前を出さず匿名(とくめい)でやっている人は、より過激で、攻撃的で、汚い言葉になりがちだ。
自分が傷つかない安全なところにいるからだ。
正義感があることそれ自体は素晴らしい事だが、それが強すぎると問題だ。
敵をつくってしまったり、相手を傷つけてしまったり、人の言うことを聞かないやっかいな人になってしまう。
「正義感中毒」の人ではなく…
ゆるす人、イライラしない人、怒らない人でありたい。 |
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