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2020.4.2

小休止のすすめ

ヒロミ氏の心に響く言葉より…

人生は何が起こるかわからない。

この使い古された言い回しを、僕は53歳になった今、実感を込めて使うことができる。

1986年に21歳でデビット伊東、ミスターちんと3人でB21スペシャルを結成して以来、約20年、タレント・ヒロミとして芸能界の一線でやってきた。

テレビのレギュラー番組は途切れず、テレビ欄から名前が消えることもなかった。

空気の変化を感じたのは40歳を迎える直前のこと。

プロデューサーやディレクターから「ヒロミさん、もうちょっと丸くなれない?」と言われることが増えていった。

何か不祥事を起こしたわけではない。

しかし、潮が引くように出演番組が終わっていく。

僕は世間から、スポンサーから、「タレント・ヒロミ」が求められなくなっていることを強く感じた。

それでもしがみつき、テレビの仕事を続ける選択肢もあっただろう。

ただ、その先に待っていたのは、支えてくれた番組スタッフからの「ヒロミさん、つまらないから芸能界に席はないです」という最後通牒だったとも思う。

僕は、求められていない感の中であがいて、しがみつくよりも自分の意思で線を引くことを選んだ。

「タレント・ヒロミ」を小休止させよう、と。

これは誰にも相談せずに決めた。

「俺、時代に合わなくなってきた」と感じたからだ。

おじさんと呼ばれる年齢になっての、初めての大きな挫折だった。

若いうちに売れず苦労して挫折感を味わいまくる人、50歳でリストラされて途方に暮れる人。

挫折と向き合うタイミングが違うだけで、誰もが一度は「きついな」という局面に対処しなくちゃいけなくなる。

人生はそういうふうにできているのだと思う。

タレント・ヒロミを小休止し始めた頃から、20代のベンチャー企業の経営者たちと遊ぶ機会が増えた。

仕事に邁進するための一時の小休止を求める彼らから「遊びを教えてください」と言われ、釣りやウォータースポーツ、キャンプなど、いろんな遊びに連れ出した。

遊びのアニキと慕ってもらう一方で、僕は彼らからビジネスを学んだ。

そして、「ビジネスもおもしろそうだ」「芸能界じゃなくてもやっていけるんじゃないか」と思い、規模は比べれられないほと小さかったが、「トレーニングスタジオ515」を始めることにした。

「起業家ヒロミ」になって、人を雇い、店舗を増やし、ビジネスの世界に足を踏み入れた。

芸能界とはまったく異なるルールと習慣。

小休止を取って別の世界に身を置くと、まったく違う景色が見えてきた。

それから約10年、2014年あたりからまた急に風向きが変わり始めた。

タレント・ヒロミが求められるようになったのだ。

長い小休止の間、心のどこかで「また俺みたいなキャラクターを求めてくれる人が現れることもあるのかな」とは考えていた。

しかし、本当にそうなるとは思っていなかった。

始まりはママのことを話すワンコーナー。

そこから4年で状況はがらりと変わった。

正直、自分でも「なんで急に?」という気持ちが抜けない。

50歳になって再ブレイクなんて言われる日がくるとは夢にも思っていなかった。

変わったことと言えば、小休止の時間を経て力の抜きどころが見極められるようになったことだろう。

実際、戻ってきてから旧知のスタッフや先輩から「最近、力抜けていいよね」と言ってもらえる。

ブランクがあったおかげで、「8割の力加減で、周りを活かすとうまくいく」と気づけたのだ。

『小休止のすすめ (SB新書)』(ヒロミ&藤田晋)SB新書


ヒロミ氏は、「引き際」について本書でこう語る。

『10年、休んでみて、あのとき自分から身を引いた判断は間違っていなかったと思っている。

気持ちを半分、芸能界に残して「出たいんだけど、出る番組がない」「今でも呼ばれれば出ます」とどっち付かずにやっていたら、次へ進めなかったはずだ。

引き際よく、実績も何もかも手放してしまうこと。

それが次につながる評価に変わっていくんだと思う。

ボクシング連盟や体操協会など、アマチュアスポーツの世界でスキャンダルが相次ぎ、引き際を間違える偉い人の姿が、毎日、テレビに映し出されているときがあった。

もめて炎上している人たちほど、なかなか辞めない。

これまでの功績を盾に、細かな「言った、言わない」で争っている。

引き際さえ良ければ次があるはずなのに、もめればもめるほど印象が悪くなり、その人が本来持っていたはずの魅力まで失われていく。

もし、あなたが、引くべきか、しがみつくべきかの選択を迫られる場に向き合うことがあったら、ぜひ、自分の意思で引くことを選んでほしい。

しがみつこうとしている場を手放すことで、必ず再起に繋がる次の何かを掴むことができる。

そのとき引き際を汚さなかったあなたには、必ず支えてくれる人が現れる。』

伊藤肇氏の「出処進退」についての話がある。

『「東洋人物学では『出処進退(しゅっしょしんたい)』と『応対辞令』とが、人物を見る二つの柱となっている」と安岡先生から教わった。


「出処進退」では、特に「退」が重視される。

「退」には、ごまかしのない人間がそのままでるからである。

女々しい奴は、いつまでもポストに恋々(れんれん)とするし、智慧(ちえ)があって、男らしい奴は最盛期にさらりと退く。

「己を無にすること」と「仕事への執着を断ちきる作業」をした上でさらに出処進退の大原則である「進むときは人まかせ、退くときは自ら決せよ」(越後長岡藩家老 河井継之助)を実践するのである。

せっかく困難な二つの作業をやっておきながら、「退」を人に相談したら、それは茶番劇となる。

誰が、相談を受けて「いい時期だから、おやめなさい」という奴がいるものか。

「まだまだ、おやめになるのは早いですよ」と、止めるに決まっている。

それをいいことに居座ったら、老醜をさらすことになる。

いうなれば「退」は徹頭徹尾、自らを見つめ、自らを掘りさげて行動しなければならぬから、自然に日ごろの心栄えが一挙手一投足に反映する。

だから、そこのところを凝視しておれば、ホンモノかニセモノかがよくわかる、という寸法である。』(帝王学ノート)より

会社においても、自治会や、ボランティアの役職においても、出処進退、とりわけ退(しりぞ)き方や辞め時は大事だ。

いかに、鮮やかに退くかを見られている。

退くとは、元外務大臣の広田弘毅(こうき)氏の句、「風車 風が吹くまで 昼寝かな」のように、「小休止」の時でもある。

人生において…

時には、「小休止」も必要だ。



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