2020.3.8 |
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やりたいことをやれ |
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本田宗一郎氏の心に響く言葉より…
■《若さの特権》
私はつねづね若い社員にいっている。
「前世紀の考え方から一歩も出られない先輩から“いい社員”だなんていわれるようじゃ、その先輩以上に伸びやしない。
上司の顔色ばかりうかがって委縮して生きるような人間は、日進月歩する現代には通用しない。
先輩ににらまれるのを恐れていないで、若者らしく勇気をもっていろいろ経験し、視野をひろめろ。
ある程度の行き過ぎや過ちがあったとしてお、それが前向きの、正しいと信じた行動であれば、“若気の至り”として許される。
これこそ若さの特権なのだから、むざむざ浪費してはいけない」と。
仕事にも、人生にも、大いに「若さ」を発揮することだ。
■《若い人たちのほうが偉い》
年寄りは、とかく「今の若い者は…」としぶい顔をする。
しかし「今の若い者は…」と批判されるほど、現代青年はだらしがないだろうか。
いや青年はいつの時代にも、オーバーにいえば、神代の昔から「今の若い者は…」といわれ続けてきたのだ。
私の若い頃もそうだった。
何かちょっとまちがいでもしでかそうものなら、すぐに近頃の若いもんは…」とくる。
だけど、そのだらしないといわれた若い人たちが、自動車をつくり、飛行機を飛ばし、月までいける時代を築いてきたのではないか。
いつの時代でも、年をとったオトナたちよりも若い人たちのほうが偉いんだと私は思う。
■《年寄りのほうが世間知らず》
自分では若いつもりで、飛行機を操縦したりオートバイをすっ飛ばしたり、派手な色柄の服を着て喜んでいるが、私は要するに80近いジジイである。
世界のジジイ経営者同様、このジジイも、おれはだてに年をとっちゃいない、若い者が真似できな体験をしてきているし、いろいろ見てきている。
そうした知恵はきっと役立つはず…と思わなくもない。
それを認めた上で、私は老人は社会の一線から早く身をひくべきだと考えるのだ。
理由は、今の世界というものは年寄りのほうが世間知らずだからだ。
昔は若い人を世間知らずといったものだが、現在は逆。
急激な世の中の変化に、もはや老人はついていけなくなっている。
『やりたいことをやれ』PHP
本田宗一郎氏の「人間死ぬまでは生きるのだから」という一文がある。
『人間、生をうけた以上どうせ死ぬのだから、やりたいことをやってざっくらんに生き、しかるのち、諸々の欲に執着せずに枯れ、そして死んでいくべき、という考え方だ。
「生あれば死あり、早く終うるも命の促(ちじま)れるにはあらず」…これは陶淵明の詩の一節だそうだ。
私流に解釈しても、まことにそのとおりで、社長という“生”は限りあるものである。
しかし、社長を辞めたからといって、その人の人生そのものが終わるわけではない。
人間死ぬまでは生きるんだから、その間に今までできなかった趣味なり社会奉仕の名誉職なりを思う存分すればよいのだ。』
葉隠で有名な佐賀鍋島藩の山本常朝の有名な一文がある。
「人間の一生は誠にわずかの事なり。
好いた事をして暮らすべきなり。
夢の間の世の中に、好かぬ事ばかりして、苦しみて暮らすは愚かな事なり。」
あっという間の人生。
それは、まるで夢のような束(つか)の間の出来事。
「何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」(閑吟集)
何になろう、まじめくさってみたところで。
所詮、人生は夢よ。
ただ面白おかしく狂えばいい。
吉田松陰は「諸君狂いたまえ」と若者たちを鼓舞した。
変革は、いつだって狂った(常軌を逸した)若者から始まった。
「やりたいことをやれ」
夢のようなあっというまの人生。
老いも若きも、やりたいことをやって、好いたことして暮らしたい。 |
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