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2020.3.3

他人の呼び方から人格の修練が始まる

小林正観さんの心に響く言葉より…

私は、小学校、中学校、高校、大学と、出会った先生から、呼び捨てにされたことは一度もありません。

どの先生も、皆、人格者でした。

今、自分は、そういう先生方の影響をとても強く受けています。

30歳年下の男性、20歳の男性にも、「君」づけでは呼びません。

全部「さん」づけです。

もちろん、女性にも「さん」づけです。

例えば、「太郎」という名前の人がいたとして、その人がほかの人から、

「太郎」

と呼び捨てにされるのと、

「太郎さん」

と呼ばれるのとでは、どちらが太郎さんにとって、大切にされている感じがするでしょうか?

私は、この他人の呼び方から、人格の修練が始まると思うのです。

自分が「いかに偉そうにならないか」というのは、まず、人を呼ぶところからだと思います。

昔の先生は、「君」づけ、「さん」づけで呼んでいたと思うのですが、最近の学園ドラマなどを見ると、どの先生も、生徒たちに対して、

「おまえらなぁ」

「おまえたちよぅ」

と呼んでいます。

ためしに、私の講演会に来てくれた学校の先生に、

「生徒たちを『おまえら』って呼んでますか」

と聞いてみたら、先生の全員がそう呼んでいるとのことでした。

そんな状況では、生徒が荒れないわけがないと思います。

人間の尊厳というものが、先生の側に全然ないのですから。

生徒一人一人を尊重する気持ちがなく、常に上下関係でしか物事をとらえていない人が、「おまえらなぁ」って言い方になります。

私の場合は、結婚して以来、妻の名前を呼び捨てにしたことはないですし、「オイ」って言ったこともありません。

子供の前でも彼女の名前を、「さん」づけで呼んでいます。

お茶を飲むときでも、「おーい、お茶」とは言わずに、自分でお茶を入れに行きます。

吉田松陰は、塾生の名前を呼び捨てにしたことがなく、私も、妻や、年下の男性を、呼び捨てにしないで、「さん」づけで呼ぶようにしています。

そうすると、皆、良い友人になってくれるのです。

命令系統の上下関係ではなくて、友人としてつき合える人に、どんどんなっていきます。

その意味で、吉田松陰という人は、江戸末期の人物であったのですが、とても民主的な人でした。

結果、松下村塾で育て上げられた人々が、明治維新新政府を作り上げることになるのです。

『楽しい子育て孫育て』Gakken


安岡正篤師のこんな言葉がある。

『歳暮になると忘年会がはやるが、この「忘年」とは本来、一年の苦労を忘れるという意味ではない。

年齢を忘れるの意で、漢代の大学者孔融(当時50歳)と禰衡(でいこう)(20歳未満)との交わりを、世人が「忘年の交」とよんだ故事による。

だから、忘年会とは老若席を同じくし、年齢を忘れて楽しむのが本当だ。』(照心語録)より

若者から好かれる年長者は決して偉ぶらない。

若者にも敬意を払い、丁寧な言葉づかいをする。

その最たるものが名前の呼び方。

いい歳をして、たった2、3歳しか違わないのに、先輩風を吹かせて名前を呼び捨てしている人を見ると、不愉快な気持ちを通り越して滑稽になる。

そういう人は、上下関係でしか人間関係を見ることができない。

そして、残念なことに、そんな人がゴロゴロしている会社がブラックと呼ばれるようになる。

「他人の呼び方から人格の修練が始まる」

まず、最も身近な人から、名前を「さんづけ」で呼ぶ人でありたい。



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