2020.2.15 |
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誰にも、何か理由がある |
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大久保寛司氏の心に響く言葉より…
ときどき思いもよらないことを言う人がいます。
たとえば、こんな風です。
私が拙著の感想を尋ねると、「何ページの何行目の字が違っていましたね」。
あるときなどは、「値段が高いですね」と値段を指摘してくださる方もいました。
それを感想というのだろうか…と思いつつ、そうした思いがけない意見にも、最近、動じずに明るく返すことができるようになりました。
「すみません。おいくらならよろしいですか?」
と間髪を入れずに質問します。
あるとき「150円」という値がついたことがあります。
一冊1600円の本が、150円に下値更新です。
一所懸命つくった本を「150円」と言われて、寂しい気持ちになりましたが、
「彼はなぜそのように考えるのだろう」
と疑問をもつと、新しい研究課題の発見です。
人の見方や考え方を制限したり、強制したりすることはできません。
ですから、「え?」と驚くような意見に出会ったら、「なぜ?」と考えるのです。
「どうしてあんなばかげた質問に、ニコニコ笑って答えていたのですか。よく否定も非難もしませんでしたね」
と言われることがあります。
簡単なことです。
ばかげた意見と言うけれど、本当にばかげているかどうかは、その時点ではわからないからです。
もしかすると、私が勘違いをしているかもしれません。
突飛な意見や発想は、新しい可能性を秘めているかもしれないのです。
「新たな可能性」の確率はあるいは少ないかもしれません。
それでもゼロではありません。
「おいくらでしょうか」と自分の疑問をぶつけてみる。
また、この「ひょっとすると」は、相手の話を一度は真剣に聞くことにもなります。
不思議なものでそうなると、突飛な意見を言う人の発想のもとを知りたい、とも思うようになりました。
優劣や善悪、常識・非常識で判断するのではなく、相手の「心の構造」に関心を寄せるのです。
心の構造は、癖のようなものです。
それを知ることは、相手を理解する手がかりになります。
一番悪いのは、話の途中で「この人はダメだ」とさじを投げてしまうことです。
さじを投げたとたん、心の構造の向こうにあるその人の「メッセージ」を見落とします。
相手との距離も広がります。
突飛な意見や変な意見でも、真剣に聞いてみてください。
新しい発見があれば、幸せになります。
『月曜日の朝からやる気になる働き方』かんき出版
人は、その人の表面的な言葉や態度に反応してしまう。
その意見や態度の背後には、その人自身の何等かの理由や事情があるかもしれないのに…。
アメリカのある有名なコンサルタントの話がある。
『ある日、電車に乗ったところ、子どもが電車の中を走り回って大騒ぎをしていたが、その父親はそれを何も注意しなかった。
見かねてそのコンサルは、父親に「子どもをなんとかしてください」と言いに行ったという。
するとその父親は、
「そうですよね、注意しなければいけないですよね…。
実は、今朝妻が亡くなったんです。
それを子どもたちに、どう伝えようかと今考えていて…
本当にごめんなさい」、と。
コンサルはその父親の話を聞いて深く反省し、「誰にもその行動の背景には、何か理由がある」と思うようになったそうだ。』
突拍子もない意見が出たり、面と向かって批判されたりしたとき…
カチンとこないで、冷静に、
「なぜそう思うのですか?」と尋ねることができる人でありたい。 |
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