2020.1.27 |
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自分で自分に活を入れる |
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茶道裏千家・大宗匠、千玄室氏の心に響く言葉より…
自分の弱さに勝つことが大切。
ところがそう言うと、自分はそんなに強い人間ではないのです、と反論する方がいます。
そんなのは言い訳です。
人間なんて、みんな弱くて、ずるくて、悪いもの。
だから少しでもよくなろうと努力をするのじゃないですか。
生きるってことは、そういうことです。
なのに、みんな忘れている。
己が己が、俺が俺が、私が私が、そんなことばかり考えて、そのくせ、楽なほうへ、楽なほうへ行きたがる。
人の干渉を受けるのが嫌だからとか、面倒な思いをするのは嫌だからと、現実から逃げている。
気力はないのにプライドだけはあって、そのくせ自分で何かを得るための行動はしない。
最悪です。
だけど実のところ、人間というのはもともとそんなものなのです。
社会に適合して上手くやっているように見える人でも、裏を返せばみんな根はぐうたらで、だからこそ自分をコントロールしてなんとかやっていこうと努力している。
自分は大丈夫なんて思っていても、ふとしたきっかけで自信を失ったりすると、そういうぐうたらで投げやりな生活に陥る危険を、誰もがもっているのです。
ですから、どんな状況になっても、自分は駄目だなんて決めつけてはいけない。
そう思う前に、鏡をみて、身なりをこざっぱりとして、もう一度チャレンジしてみることです。
仕事がない、病気で動くのがしんどい、それはたしかに辛(つら)いでしょう。
だからといって全部を諦めることはない。
死にさえしなければ、少なくとも生きてさえいれば、何かしらのチャレンジはできます。
復活のチャンスは、必ずあるのです。
あとは自分自身がやるか、やらないか。
最近は聞かなくなってしまいましたが、私たちの時代には、ふんどしを締め直せ!とよく叱咤(しった)されたものです。
失敗をするのは気持ちがゆるんでいるからだ、気持ちがゆるんでいるのはふんどしがゆるいからだ、というわけです。
無理やりな理屈のようですが、これは私の飛行機乗りの経験からしても、けっこう一理あるなと思うのですよ。
かつてはそうやって活を入れてくれる人がいたものですが、いまはほとんどいなくなってしまった。
ならば、これからの時代は、自分で自分に活を入れなければならないのでしょう。
『いい人ぶらずに生きてみよう (集英社新書)』
「活を入れる」とは、刺激を与えて元気づける、ということ。
柔道などでは、気絶した人の息を吹き返させる技のことをいう。
また、別に「喝を入れる」という言葉があるが、これは座禅で、僧侶が「喝!」と大声で言って持っている棒(警策・きょうさく)で修行者の背中を打つことが語源。
禅では、「喝」は叱るという意味で使うが、以心伝心、拈華微笑(ねんげみしょう)の世界だ。
相撲では、自分のまわしや頬っぺたをたたいたりして活を入れる。
柔道や剣道では、組み合うときや、試合中も大きな声をだす。
自分に気合を入れ、気力を奮い起こすためだ。
自分にムチを入れることでもある。
「水は低きに流れ、人は易(やす)きに流れる」という。
放っておいたら、楽な方へ楽な方へ流れてしまう。
「一日作(いちじつな)さざれば一日食らわず」
という禅の言葉がある。
百丈和尚が80歳になった時、炎天下でも畑仕事をしていたが、それを見て、弟子たちが健康を気遣って「作務をやめてください」と言った。
それでも百丈和尚は作務をやめなかったので、畑仕事の道具を取り上げてしまったところ、和尚は食事をとらなかったという。
その時に言った言葉がこの「一日作さざれば一日食わず」。
元気がなくなったら、自分で自分に活を入れたい。 |
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