2019.12.15 |
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芸術とは盗むことだ |
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オースティン・クレオン氏の心に響く言葉より…
■《芸術とは盗むことだ》(パブロ・ピカソ)
「未熟な詩人はまねるが、熟練した詩人は盗む。
無能な詩人は盗んだものを壊すが、
有能な詩人はより優れたもの、少なくとも違うものへと変える。
つまるところ、有能な詩人は、
盗んだものを盗む前とはまったく異なる、
独特な雰囲気に変えてしまうのだ」
T.S.エリオット
■《アーティストのように世界を観よう》
アーティストはよくこんな質問をされる。
「どこからアイデアがわいてくるんですか?」
正直なアーティストはこう答える。
「そりゃ、盗むのさ」
アーティストは世界をどう観ているのだろう?
まず、盗む価値があるものを探す。
探したら、また別のものを探す。
たったそれだけなんだ。
こんなふうに世界を観ていると、何が「よい」もので、何が「悪い」ものかなって、どうでもよくなってくる。
目の前にあるのは、「盗む価値のある」ものと、「盗む価値のない」ものだけなんだから。
盗めるものは、そこらじゅうに転がっている。
今日、盗むものが見つからなくても、明日、1?月後、1年後に見つかるかもしれない。
「僕がじっくり鑑賞するのは、盗めるところがある作品だけだね」(デヴィッド・ボウイ)
■《“オリジナル”なんてないんだ》
小説家ジョナサン・レセムがこんなことを言っている。
「何かを“オリジナル”と呼ぶやつは、十中八九、元ネタを知らないだけなんだ」
一流のアーティストなら、無から生まれるものなんて何もないと知っている。
創作作品には必ずベースがある。
100パーセント“オリジナル”なものなんてないんだ。
聖書にもこんな一節がある。
「太陽の下(もと)に新しきものなし」
そう聞くと、気が滅入る人もいる。
でも、僕にとっては希望だ。
フランスの小説家、アンドレ・ジッドはこう語る。
「言うべきことは、すでに誰かが言っている。だが、聞いている人がいなかったばかりに、言いなおすはめになるのだ」
「オリジナルでなければ」という肩の荷を下ろせば、僕たちはもう無から何かを作ろうなんて思わなくなる。
他人の影響を避けようとするんじゃなくて、受け入れられるようになるんだ。
■《ゴミからはゴミしかつくれない》
アーティストは収集家だ。
でもホーダー(ためこみ屋)じゃない。
何が違うのかって?
ためこみ屋は何でもかんでも集める。
アーティストは取捨選択して集める。
「これこそ」と思うものだけを集めるんだ。
こんな経済理論を知っているかい?
いちばん親しい友人5人の収入を平均すると、その人の収入がわかるんだって。
アイデアも同じだと思うんだ。
君のまわりに何があるかで、君の限界が決まる。
僕の母親はよく、「ゴミからはゴミしかつくれない」と言っていた。
昔は意味がわからなかったけれど、今ではよくわかる。
君の仕事は、抜群のアイデアを収集することだ。
抜群のアイデアを集めれば集めるほど、盗むものが増えていくのだから。
『クリエイティブの授業 STEAL LIKE AN ARTIST "君がつくるべきもの"をつくれるようになるために』実務教育出版
本書の中に「盗む」に関して、こんな一文があった。
「自分の感性と共鳴するもの、想像を掻き立てるものなら、どんなものからでも盗みなさい。
昔の映画、今の映画、音楽、本、絵、写真、詩、夢、雑談、建物、橋、看板、木、雲、水、光、影。
どんどん吸収し、心に訴えかけるものだけから君の作品(盗品)は本物になる」(ジム・ジャームッシュ/アメリカの映画監督)
盗むとは「盗用する」ことではない。
「まねをする」ことは単なる「模倣」だが、「盗む」にはインスピレーション、ひらめきなど、天から舞い降りてくる感覚がある。
俗にいう「ピンときた」「降りてきた」ということ。
「まね」は表面的で形や外観だけをまねるだけだが、「盗む」は本質や真髄を自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものにするということ。
盗んだ「本質」を自分の中で発酵、熟成させ、まったく別の新たなオリジナルアイデアをつくりあげること。
回転ずしを最初に思いついた白石義明氏は、ビール工場を見学したとき、ビールが流れているベルトコンベアを見て思いついたという。
まさに本質を見抜いてその真髄を盗み、それをまったく別の新しいビジネスへと昇華させた。
いいものをどんどん吸収し、その本質や真髄を自家薬籠中のものとしたい。 |
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