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2019.12.11

忘己利他という教え

天台宗大阿闍梨、酒井雄哉師の心に響く言葉より…

ぼくがいる比叡山の教えに「忘己利他(もうこりた)」という教えがある。

「己を捨てて他を利すればいい。そうすれば皆が幸せになる」と説いているんだ。

自分が何ができるかどうかはあまり関係ない。

何かを達成できてもできなくても、自分を捨てて他を利するということを心がけた生き方をしていればいい、というの。

成功したからといって、得たものを自分だけの懐へ入れてしまうのはよくない。

得たものを人に分けてあげなければいけない。

何をするにしても、自分がたった一人でできた、なんていうことはないものな。

ここまで生きてこられたのはたくさんの人に支えてもらってきたからだし、いま生きている間にも、大勢の人に助けられているんだよ。

だから、自分は自分、人は人だなんていう考えはよくないよね。

たとえば、ぼくの行も、実際に山を歩いたり行をするのは確かに自分だ。

でも、細かい雑務なんかを知ると、とてもじゃないけど簡単にはできない。

回峰行が始まる。

そうすると、「ああ、このごろこんな行をやっているんですね。じゃあ、ちょっと応援しましょうか」とお手伝いしてくれる人がポツン、ポツンと出て来る。

それがだんだん一人増え、二人増えと、なかには、金銭的なものを応援してくれる人まで現れる。

どんどん行を重ねていくと、回峰行のなかでも荒行の「お堂入り」ができるようになる。

その積み上げてきた五年間にはやっぱりみなさんの助けを受けて、御堂入りをしている間にもお供えものなどをしていただく。

そうしてさらに行を積み重ねて、七年間にわたる千日回峰行を満行できるわけだ。

回峰行も大勢の人に支えられてこそできるんですよ。

だから、自分は千日の行をしてえらいんだなんてふんぞりかえっちゃいけないし、みなさんに支えられてきた御恩に感謝の気持ちを忘れちゃいけないってことなんだ。

だから、こうしてお話ししているんだよ。

よく、みんなも言うでしょう、「ご回向(えこう)」とか「回向してもらう」って。

坊さんが頼まれて先祖を拝んであげるようなときに言うけれど、本来は、「よい行いを他に巡らす」という意味が含まれるしな。

お寺の人でなくても、自分のできる範囲でかまわないから、人のためになることをするのがいいわけ。

暮らしのなかで、何かお手伝いをしてあげるとか、何か福祉に寄付をするというのでもいい。

自分の徳というものを、少し分けてあげてみるのもいいよね。

人は恵み恵まれ、徳を積んでいくことになるからね。

『続・一日一生 (朝日新書)』


「己れを忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」《最澄・山家学生式(さんげがくしょうしき)》

慈悲とは、ほんとうの優しさや、思いやり、いつくしみ、のことを言うが、仏教では苦しみを取り除き、楽しみを与えるという意味だ。

伝教大師最澄は、慈悲の最上のあり方を、「忘己利他」と言った。

自分を忘れて、他者のために尽くすことこそが、慈悲の究極の姿であると。

舩井幸雄氏は、「人間性を高める」には、「与え好きの人間にする」のがもっとも効果的だという。(法則・サンマーク出版)より

『「いまだけ」「自分だけ」という狭い我欲から離れること。

そして、他人の利益や幸福も視野に入れた、もらうよりも与えることに喜びを感じる「利他的な考え」をもたせるのです。

あるいは、物事を根源からマクロにつかみ、ミクロに対処するように仕向ければ、その人はもらい好きから脱皮して、「与え好きの人間」へと成長していき、おのずとその人間性を高めていくでしょう。』

人間性を高めるには、「与えること」。

自分から与えることはひとつもしないで、情報でも、モノでも、善意の気持ちも、「欲しい欲しい」、「ちょうだいちょうだい」という人には、感謝がない。

何かをもらった後に、「ありがとう」というお礼や、「感謝」の言葉(メール)もないからだ。

それは、自分が与える側(主催者側)になったときによくわかる。

「忘己利他」という教えの実践を重ねたい。



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