2019.12.8 |
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コミュニティの時代へ |
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佐渡島庸平氏の心に響く言葉より…
月間アクティブユーザー数が20億人に達し、その規模だけを見れば、他の追随を許さない成果を上げているFacebookは、2017年にこれまで掲げてきた企業ミッションを、創業以来はじめて変更した。
“コミュニティづくりを応援し、人と人がより身近になる世界を実現する”
つなげる、から、コミュニティ支援へ。
CEOのマーク・ザッカーバーグは、こんな発言をしている。
「私たちは約10億人が有意義なグループに参加できるよう、支援したい。
かつて人と人とをつなげるサポートをすることで自然と世界はより良くなると考えていましたが、世界はいまだに分断したままです。
ただつなげるのではなく、人と人がより身近になれるような世界を実現することに注力する必要があります。
コミュニティは、昔から存在する。
言葉とはすごいもので、使われ続けている言葉は、その対象物の本質を簡潔に伝えていることが多い。
「人間」という言葉自体が表すのは、人は人の間で生きているということだ。
太古から人は、コミュニティを作って生きていた。
コミュニティがなかったことなどないわけで、生きていくのに空気が必要だというのと同じくらい、「コミュニティが重要」というのは自明なことのように思える。
しかし、やはり今は、コミュニティについて、深く考え、語る時期だ。
コミュニティのあり方が、劇的に変化しようとしている。
「安心と自由」どちらが重要か?
コミュニティについて考えるとき、この二つがキーワードになる。
安心と不安、自由と義務ではなく、安心と自由だ。
人間は、この二つを欲しがる。
できれば、同時に。
しかし、この二つは決して、同時には手に入れられなかった。
安心を得ようとすると、自由が失われるし、自由を得ようとすると、安心を失う。
初めは、村社会(地域コミュニティ)があった。
誰もが相手の顔と名前が一致していた。
余所者(よそもの)が来れば、すぐに気づいたし、排除された。
引っ越しも、職業の選択も自由はほとんどない。
同調圧力が強い社会だった。
その代わりに、圧倒的な安全があり、安心があった。
高度経済成長期に、多くの人が都市部に流れて、村社会の時代は終わった。
都市には地域コミュニティが生まれず、核家族を中心として極小コミュニティと会社コミュニティ、この二つに人は身を委ねた。
村社会に比べたら、生き方の自由度は増した。
しかし、安全・安心は減る。
周りは知らない人ばかり。
安心を確保するために、終身雇用という制度は有効だった。
そしてまず、核家族コミュニティが弱まった。
結婚をする人が減り、子供を産む人も減ったためだ。
そして会社コミュニティは、終身雇用の崩壊と働き方改革で、機能しなくなり始めている。
今、僕らは、所属しているコミュニティを失いつつある。
誰も僕らの生き方について指図する人はいない。
圧倒的な自由だ。
しかし、ずっと欲しがっていた自由を手に入れて、気がついたら安全・安心を失っていた。
その二つがトレードオフの関係にあることを、理解している人は少なかった。
孤独の中で得る自由と引き換えに安全・安心を失った人たちは、不安の闇に突き落とされる。
自由と安心、両方を得ることは不可能なのか?
「not alone.」そんな気持ちを持たせてくれるのは、コミュニティだけだ。
今までの物理的な必然性で生まれたコミュニティではなく、インターネットの中で、「好き」を中心にしてできたコミュニティに可能性があるというのが、僕の仮説だ。
インターネットの力は、自由と安心、両方をもたらしうるのではないか。
問題は、コミュニティをあまりにも自明のこととして捉えていたので、その知識をまだ誰も持っていないことだ。
今までは、すでに存在するコミュニティに、後から参加すればよかった。
コミュニティは当たり前にそこにあるものであり、作るという行為をしたことことはない。
食事を毎日しているからといって、料理が作れるかというと違う、ということと全く同じだ。
コミュニティを作るときに、何を意識して、どう工夫していかないといけないのか?
僕の思考もまだ体系だっていない。
けれども、コミュニティについてたくさん語り合い、試行錯誤を重ねて、新しいコミュニティを作ることが、僕自身の、そしてコミュニティに参加するメンバーの孤独を癒すことになる。
『WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜 (NewsPicks Book)』幻冬舎
終身雇用が当たり前だった時代は、人生の中で、会社というのは唯一無二といっていいくらい大事なコミュニティだった。
つまり、組織(会社)の時代。
そして、地方ではまだ残っているが、自治会などの隣近所のコミュニティは都市部ではもう崩壊している。
親戚同士が濃密に付き合っていた、家族を中心としたコミュニティも、冠婚葬祭の時くらいしかほぼ機能しなくなった。
また、学校というコミュニティも、多くは都市部に就職したり、家庭を持つことで、卒業したらバラバラになってしまう。
しかし、人は太古の昔から、なんらかのコミュニティを作ることによって生き延びてきた。
コミュニティに属していなければ、孤独になり、安心や安定が保たれないからだ。
現代のコミュニティには、「オンラインサロン」や、圧倒的カリスマ(芸能人も)を中心とした「ファンクラブ」などがあるが、それは一種のプラットフォームだとも言える。
プラットフォームとは、顧客が存在する会社もある意味ではプラットフォームともいえる。
現代では、インターネット上に存在している、「楽天市場」や「アマゾン」、あるいは「アップルストア」、「グーグル」「フェイスブック」など、顧客との関係性が密なコミュニティをいう。
あるいは、個人レベルで言えば、多くのフォロアーを抱える有名なユーチューバーも同じだ。
プラットフォーム上で、さまざまなモノが売れたり、プラットフォームそのものが有料の会員制だったりする。
そして、ほとんどが、リアルでふれあえるオフラインの交流会もある。
また、現在もっとも増えつつあるのが、個人がつくる小さなコミュニティだ。
これは、リアルとデジタル(SNS)の複合したものが多い。
様々な勉強会や、趣味の会、講習会、地域活性化の会などだ。
大事なことは、どんなに小さくてもいいから、いつかは、自分が主催者になるコミュニティを持つことだ。
自分が主体者になったときはじめて、新たなステージに進むことができる。
主体者になるということは、自分の「好き」や「得意」が見えてくるということ。
コミュニティの時代を深く探求(たんきゅう)したい。 |
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