2019.11.26 |
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自分を捨てるということ |
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石川洋氏の心に響く言葉より…
かつて遠州知波田村(ちばたむら)に農協の破産があった。
後任組合長がなく、いつになっても立ち直らなかったのだ。
困りはてた末、人もあろうに、非農家で、しかも肺病で寝ている木村市郎氏に懇願した。
木村市郎氏は、湖西市名誉市民第一号として慕われ、一燈園の仲間だった。
彼は村人の誠意にこたえ三つの条件を示した。
一、「節約の実行」
冠婚葬祭の大改善をはじめとする強硬な要求だった。
木村氏は代表者の受諾だけでは承知されず、組合員の総意を求められた。
総会を開き実行を誓約した。
二、「組合長になっても、一切出席しないこと」
これには村人も組合員も驚いた。
短気な人は、「馬鹿にしている、こんな人に頼むな」と言ったが、他に人はいないし、「それでよい、わからんことは枕頭に聞きに行けばよい」と、第二条を承知した。
人々は第三条を恐れた。
病床の木村氏は、二ヵ条を村の人がのんだことについて深く感銘を受け、第三条を示した。
三、「自己(木村氏)の所有する田畑、山林、家屋敷を一切農協に寄付するから、即日登記すること」
代表者は愕然とした。
「それだけは絶対に止めていただきたい」と申し出たところ、木村氏は「それでは組合長は辞退する」と言われる。
この決意を聞いた組合員は、全員が泣いて先生に感謝し、一致協力、組合の再起を誓った。
「おそれなきを施す」という自戒の言葉がある。
1. 夜道がこわい(命がおしいからだ)
2. 病気がおそろしい(幸せすぎるからだ)
3. 家業が心配だ(欲が深いからだ)
4. おせじが言いたい(よく思われたいからだ)
5. 縁起(吉凶の前触れ)が思える(自分だけが幸せになりたいからだ)
6. 目上の人がおそろしい(出世がしたいからだ)
7. 同僚を疑う(自己の誠心が足りないからだ)
最後まで尾を下げることのできない、大狐(たいこ)の厳しい自己内省ではないだろうか。
責任ある立場に置かれている人は少なくともどこかで「自分を捨てるもの」を持たなければならないのだ。
富士の裾野がいかに広大であっても、多くの人を生かし、感動せしめるものがなくてはならない。
むしろ裾野をあてにするのではなく、一人の人間としての裸性を厳しく見つめ、「おそれなきもの」を自得する必要があるのではないだろうか。
西田天香さんは、「得んとする者は亡び、捧ぐる者は残る」と言われている。
何が亡びに至る道であり、何が残る道であるか、責任のある立場の人は捨身の体験の大切さに気づかなければならないのである。
『ありがとう宣言 (人間愛叢書)』勉誠出版
人物を見るには、その人の「出処進退」を見よ、という。
出処進退の「出」とは、地位につくことであり、「処」とは地位につかないこと。
「進退」は、身の処し方であり、役職や地位を辞めるときの態度のこと。
地位に恋々とするのではなく、役職を辞する時の身の処し方、鮮やかさが大事だといわれるが、同時に、役職や地位に就くときもその私心のなさが問われる。
まさに「公」のため、火中の栗を拾わなければならないようなことを頼まれたときの身の処し方だ。
私心のなさとは、「自分をいかに捨てることができるか」。
「捨てて」という短い詩がある。(ほほえみ読本)より
どんな大事なものでも
荷物はみんな捨ててください
自分のからだも捨てるんですよ
《三途(さんず)の川の番人のことば》
どんなにお金を稼ごうが
どんなに綺麗で美しいスタイルであろうが
どんなに知識があって頭がよかろうが
どんなに地位が高くて栄耀栄華を極めようが
三途の川を渡るときは全部捨てていかなければならない。
『責任ある立場に置かれている人は少なくともどこかで「自分を捨てるもの」を持たなければならない』
肚を決め、覚悟を決める…
自分を捨てる勇気のある人でありたい。 |
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