2019.10.29 |
|
人を見るなら、その行動を見よ |
|
岡本一志氏の心に響く言葉より…
私たちは、相手を判断するとき、その人がどんな会社に勤めているか、どんな学校を出たか、どんな役職についているかといったことに注目して、その人自身を正しく見られていないことがあります。
そうした“見た目”に惑(まど)わされると、その人の本当のすばらしさに気がつかなくなるものです。
お釈迦さまは、
「その人の生まれや環境に、その人の値(あたい)があるのではない。
その人の値は、その人の言動によって決まるのだ」
ということを、徹底して教えていかれた方でした。
お釈迦さまの生まれた時代は、今から2600年前のインドです。
当時のインドには、バラモン教という宗教のもとに、カーストという厳しい身分制度と差別がありました。
その身分制度の最上位は、「バラモン」というわれるバラモン教の司祭階級の人々で、その次に「クシャトリア」といわれる貴族や武士、次に「シュードラ」といわれる、人の嫌がる仕事にしかつけない人たちでした。
さらに、このカーストにも入らない不可触民(ふかしょくみん)といわれる階級があり、触れると汚(けが)されるとされ、彼らは他の身分の人に近づくことも見ることも、同じ井戸の水を飲むことも許されていませんでした。
このような厳しい身分差別の中、お釈迦さまは、人はカーストによって貴賤(きせん)が決まるのではなく、その人の行いによて決まるのだと説いていかれたのです。
このことは当時のインドの人々にとって、誰もが信じていた常識を覆(くつがえ)す、目からウロコの驚きだったに違いありません。
こんなお話が残っています。
ある村に、二人の若いバラモンがいました。
この二人は、自分がバラモンの生まれであることを誇りに思っていました。
あるとき、バラモンが他の階級の者よりも優れていることを確認したいと思って、お釈迦さまに次のように尋ねたのでした。
「お釈迦さま、バラモンはなぜ、他の階級よりも優れているのでしょうか?」
するとお釈迦さまは、二人にこう問い返されました。
「お前たち。バラモンや王族、貴族の中にも、人の物を盗み、罪なき人に危害を加える者がいるのではないですか」
「はい、確かにそのような者がおります」
「また逆に、ヴァイシャやシュードラの中にも、嘘をつかず家族を大事にし、苦しんでいる人を慈(いつく)しむ者もいるでしょう」
「はい、そのような者もあると思います」
「では、悪行を重ねるバラモンと、善行に努めるシュードラと、どちらが立派だと思いますか?」
「はい、悪行を重ねるバラモンよりは、善行に努めるシュードラのほうが立派です」
「そうでしょう。バラモンであっても、行いの悪い者は、尊ぶに値しない者なのですよ。バラモンでなくても、バラモンよりも立派な行いをしている者もいます。生まれた階級に関係なく、行いが素晴らしければ、その人は素晴らしいのです」
二人の青年は、自分の生まればかりを誇り、自分の行いを磨こうとしていなかったことを反省して、その場でお釈迦さまのお弟子になったと言われます。
現代の日本には、カーストのような身分制度はありません。
しかし、肩書や社会的地位、生まれ育ち、出身地、学歴、会社名、外見などを見て、色眼鏡で人を判断してしまっていることはよくあることです。
わかりやすい“肩書き”にとらわれて、その人が日々どんなことをしているのかに目を向けられていないこともあるのではないでしょうか。
あるいは、自分の肩書や恵まれた環境を誇って、自分の行いを顧(かえり)みていないこともあるかもしれません。
心にかけた色眼鏡を外してみましょう。
「人を見るなら、その行動を見よ」と、お釈迦さまは、他者や自分自身を正しく見つめることの大切さを教えられています。
『心が「スーッ」と晴れるほとけさまが伝えたかったこと: 永遠に変わらない33の大切な話 (王様文庫)』
「脳力開発」の創始者、城野宏氏は、ものごとの見方や考え方(それをつくる習慣)には5つあるという。
それは…
1. 中心・骨組みで考える習慣をつくる
2. 両面とも考え、どちらが主流かも考える習慣をつくる
3. 立場・観点を整理し、多角度から考える習慣をつくる
4. 確定的要素から出発して考える習慣をつくる
5. 行動のつながりで、具体的に考える習慣をつくる
その中でも、「行動のつながりで、具体的に考える」というのが、お釈迦さまのいう「人を見るなら、その行動を見よ」。
我々は、とかく人を見るとき、その人の外見や、肩書、社会的地位、資産、で判断してしまいがちだ。
どんなに口では格好いいことを言っても、それに行動が伴っていなかったら人からは信用されない。
反対に、あまり口数が少なくても、行動が立派ならいつか必ず人から評価される。
「地球は行動の星」
と言ったのは斎藤一人さん。
「人を見るなら、その行動を見よ」
自分の生きざまを、具体的行動で示せるような人でありたい。 |
|
|