2019.10.18 |
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自分で考えて行動できる子ども |
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小林正観さんの心に響く言葉より…
一般的に「よい子」とは、「先生や親の言うことをよく聞く子ども」のことであり、「悪い子」とは、「先生や親の言うことを聞かない子ども」のことです。
では、今まさに死にかけている親の立場から、子どもを考えてみます。
「悪い子」は、親にとって不満だったかもしれませんが、親は「安心して死んでいく」ことができます。
なぜなら、悪い子は、親のいいなりにならず、「自分の価値観」や「自分の考え方」に従って生きてきた子どもだからです。
一方で、「よい子」は、親の言うことをすべて聞き入れてきた子どもです。
親がいなくなってしまったら、はたして自分の考えで生きていけるだろうか、そう思うと、親は不安になるかもしれません。
つまり、「悪い子」のほうが、親は安心して死んでいけることになります(ここでいう「悪い子」とは、「人に迷惑をかける」といった意味ではありません。「先生や親の言うことを聞かない」という意味です)。
先日、次のような相談を受けました。
「大学4年の息子がいるのですが、『大学を卒業したら、就職はしないで、半年くらい世界の国々を旅したい』と言い出しました。
私は、『普通に就職して、普通に働いて、普通に暮らしてほしい』と思っているのに、どうしてこんな子どもになってしまったのでしょうか。
どうしたらこの子を直すことができるでしょうか」
私はこの相談に、次のように答えました。
「大変すばらしい教育をしたと思います。
すばらしいお子さんに育てられましたね」
私は教育の専門家ではありませんが、教育とは、「みんなと同じことをする子ども」に育てることではなく、「自分で物事を考え、その結果、自分で自分の行動や生活、生き方を組み立てていけるようにすること」であると思います。
ということは、「普通に就職をするのは嫌だ。世界を周遊したい」という子どもを育てた母親は、すばらしい教育をしたということにほかなりません。
しかもこの息子は「旅費はすべてアルバイトをして稼ぐから、好きにやらせてほしい」と申し出たそうです。
家に帰った母親が、私から聞いたことを息子に話したところ、彼は「お母さんが考え方を変えるのは大変だろうから、今までどおり、何も変わらなくていいよ。自分は自分の生き方でやっていくから」と言ったそうです。
この母親は、本当にすばらしい子育てをしたと思います。
日本は、明治以降、重工業や工業の非常に高いレベルの生産工場をつくるため、「高学歴の人材をたくさんつくる」ことを目指してきました。
一方で、「個性的で、自分の考えを自分の中に確立できる子ども」をつくらないようにしてきたように思います。
そのため、親は「没個性的で同質的なものが正しい」、「個性的なものは間違いである」と信じ込んできたのではないでしょうか。
「悪い子」とは、今の社会に対して、「もっと改善の余地がある」と思い、いつも分析をし、自分なりに物事を考え、提案している、そういう人間のことです。
「平均的」で「一般的」な子どもを育てることではなく、「自分の価値観で生きていく子ども」をつくることであり、そのように子どもたちを教え育んでいくことが、教育の本質だと思います。
『ありがとうの神様』ダイヤモンド社
2020年の教育改革について山下慎也氏はこう語る。
『2020年に学校の勉強が大きく変わります。
今回の変化は「脱ゆとり」どころの騒ぎではなく「教育の明治維新」と言われるくらいの大きな変化ですが、まだまだほとんどの保護者の方にとっては「教科書が変わるだけでしょ」程度にしか思われていません。
今回の変更の一番のポイントは、これまでの「どれだけ知っているかという知識重視の学習」から「どう考えるかという思考力重視の学習」に変わるということです。』
明治以来の富国強兵をもとにした日本の教育制度がようやく変わろうとしている。
これは、ITやAIによって大変革を迫られているビジネス界からの要請もあったという。
しかしながら、未だに親や教師の世代には、旧来の価値観を是とする人たちが多くいる。
一流企業に内定したのを蹴(け)って、まだ小さなベンチャーに入ろうとする子どもを止めるのは、たいてい親だからだ。
「20分より先の未来を考えるなど時間の無駄だ」(ジェフ・ベゾス)
一寸先も分からないようなこの大変化の時代は、前例踏襲が得意な「記憶再生能力」の高いだけの旧来型の官僚タイプの人たちが役に立つわけがない。
自分の頭で考え、発想し、その場で即応できる自律型の「行動できる人」でなければ、これからの大変化の時代を生き抜くことはできない。
自分で考えて行動できる子どもを多く輩出(はいしゅつ)する国でありたい。 |
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