2019.9.28 |
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面白いとは何か? |
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森博嗣氏の心に響く言葉より…
人間は、そもそも「新しい」ものが好きだ。
これは「好奇心」と呼ばれる性質でもある。
見たことがないものに近づき、手を出して、触りたくなる。
多くの動物にも、好奇心はあるにはあるが、人間ほどではない。
自然界の動物は、新しいものをむしろ避ける。
危険なものかもしれない、と判断するためだ。
好奇心旺盛なのは、子供や若者であるが、人間の場合は、かなり老年になっても、それを持っているようだ。
なかには、もう新しいものはいらない、今のままで良い、と頑なになる老人もいるようだが、いくつになっても、自分の好きな分野では、新しものに手を出したがる。
ただ、比較をすれば、そういった傾向は、やはり歳とともに衰えるように観察される。
「新しい」ものの「面白さ」に若者は敏感であり、年寄りは鈍感だといえるだろう。
この傾向からすれば、歳を取るほど、「面白い」ことは減っていく道理になる。
これはある意味しかたがない。
なにしろ、経験を重ねるほど、その人にとって「新しい」ものが減っていくことは必然であり不可避だからだ。
「それは、もう知っている」「試したことがある」という境地に達してしまう、ということだろう。
若者や子供は、新しいものに目を輝かせる。
「面白い」というよりも、「可能性」のようなものに惹(ひ)かれているのかもしれない。
つまり、「面白そうだ」という感覚である。
面白いかどうかは、試してみないとわからない。
だから「試してみたい」との欲求である。
子供が、何を見ても、「やらせて」とせがむのを、大人は知っている。
逆に、大人になるほど、手を出してみても、自分の得にならない、という悟りを開いてしまうのだろう。
子供は「無知」であるから、知らないことが周囲に沢山ある。
それらを知ることが、「面白い」のだ。
おそらく、知識を得ることで自身が有利になれるとの「予感」があるためだろう。
知らないよりも知ることは有利だ。
他者との競争にも勝てるし、自身の将来の可能性を広げるだろう。
つまり、好奇心とは自分が「成長」するイメージを伴うものである。
この自身の「成長」が「面白い」と感じられるのは、躰を鍛えたり、技を磨くための練習が「面白い」ことにもつながる。
いずれ得られる満足を予感させる「面白さ」といえるものだ。
「意外性」とは、その人が思い描いていない未来が訪れることだ。
これは、普通は「面白い」ことではない。
もし、ビスケットがもらえなかったら、犬はがっかりする。
いったい何が起こったのか、と途方に暮れる結果になるだろう。
人間の場合も、想定しない事態が発生することは、歓迎できない場合が多い。
特に、予期せぬトラブルなどは困る。
というよりも、想定外の悪い事態をトラブルと呼ぶのである。
ところが、その意外性が、「面白さ」になる。
ここは、さすがに犬ではなく人間だから、といえるかもしれない。
すなわち、「意外性」の「面白さ」を理解するには、或る程度の思考力や知性が要求される。
突拍子もないことが起こると、人はまずは驚く。
意外なことに対しては、びっくりするのが最初の反応だろう。
しかし、それが「面白さ」に変化する。
たとえば、ギャグの中には、この意外性がある。
変なことを言うな、という驚きがある。
もちろん、定番になって、来るぞ来るぞと期待したところへ出てくるギャグもあるが、慣れてしまうと、普通は笑えなくなるものだ。
これは、意外性がなくなるからにほかならない。
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「面白がる人には、どんどん面白いことが降ってくる」(小林正観)
小林正観さんは、宇宙の法則として、「投げかけたものが返ってくる(投げないものは返ってこない)」というものがあるという。
これはつまり、物理学でいう「作用」「反作用」と同じことで、言葉を換えて言うなら、「愛すれば愛される」「愛さなければ愛されない」「感謝すれば感謝される」「感謝しなければ感謝されない」「嫌えば嫌われる」「嫌わなければ嫌われない」「憎めば憎まれる」「憎まなければ憎まれない」ということ。
そして、自分に返ってくるものについて「宇宙は倍返し」という方程式があるともいう。
投げかけたものがまだ返ってこない間に、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を一切言わなければ、二倍のものが返ってくるという法則。
つまり、面白がる人には、どんどん面白いことが起こり。
逆に、つまらなそうな人には、ますますつまらないことが起こるということ。
二度とない人生、面白がって生きていきたい。 |
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