2019.9.24 |
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時間革命 |
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堀江貴文氏の心に響く言葉より…
「時は金なり」ということわざがある。
ぼくに言わせれば、こんなバカな考え方はない。
この言葉は、時間とお金を「同等に価値があるもの」だとしているからだ。
人間にとって、何より尊いのは「時間」である。
お金など比べものにならない。
ぼくにとって、時間ほどかけがえのないものはない。
ぼくたちの時間は、ぼくたちの人生そのものだ。
時間の質を高めれば、人生の質も高くなる。
ようはハッピーになれるってことだ。
だからぼくは、これまでずっと「時間の質」を上げることだけを考えてきた。
たくさんのお金も、膨大な仕事も、おいしい食事も、人づき合いも、遊びも…すべては「よりよい時間」を生むための手段でしかない。
これはぼくにとって、このうえなくシンプルで確実な真理だ。
時間には2種類しかない。
「自分のための時間」と「他人のための時間」である。
「自分時間」とは、好きな仕事、趣味、やりたいこと、たのしいイベント、気の合う仲間との飲み会などである。
一方、「他人時間」とは、やらされている仕事、通勤、したくもない電話やメール、気を遣う飲み会といったところだろうか。
当然ながら、「自分時間」が多ければ多いほど、あなたの人生の質は高くなる。
逆に、「他人時間」ばかりを過ごしている人が、自分の人生に満足できていることはまずない。
「自分時間を増やす+他人時間を減らす→人生の質が高くなる」
ぼくが語りたいことの核心は、このシンプルきわまりない事実にある。
これこそが時間を支配するための、たった1つの方法なのだ。
『時間革命 1秒もムダに生きるな』朝日新聞出版
ミヒャエル・エンデが書いた『モモ』という童話がある。
時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子“モモ”のふしぎな物語だ。
「彼らは人間の時間をぬすんで生きている。
しかしこの時間は、ほんとうの持ち主からきりはなされると、文字どおり死んでしまう。
人間はひとりひとりがそれぞれじぶんの時間をもっている。
そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。」
自分の時間は無限にはない。
死というリミットのある有限な時間なのだ。
だからこそ、一瞬一瞬もムダにはできない。
そのためには、「今ここ」という即今(そっこん)を生きるしかない。
《いまここじぶんその合計がじぶんの一生》(相田みつを)
「アノネ、昨日のいのちは、どこを探しても、もうないんだよ。
あしたのいのちはあしたになってみなければわからない。
あしたは死んでいるかも知れない。
まちがいなくあるのは、いまここのいのちだけ。
そのいまでさえ、刻一刻と過ぎてゆく。
それが人間のいのち、自分のいのちというものだね。
そして、いまここを生きるのは、だれでもない、いま、ここ、の自分。
いまここで、ぶつぶつと不満や 弁解をしながら生きるか
いまここを、生き生きはつらつと
いのちいっぱいに光かがやいて生きるか
それをきめるのはいまここの自分」
自分の時間の質を上げてゆく努力を重ねたい。 |
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