2019.8.23 |
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「分かる」と「変わる」 |
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戸田智弘氏の心に響く言葉より…
《私の場合、「よく分かんないからこの件で本を書こう」というのがとっても多い。分かって書くんじゃない。分かんないから書く。体が分かることを欲していて、その体がメンドくさがりの脳に命令する…「分かれ」と。》(作家、橋本治)
ブログを書く、レポートを書く、論文を書く。
人間は文章を書きたがる生き物である。
文章を書くなんてことは、たいへん面倒な重労働である。
であるにもかかわらず、多くの人が文章を書く。
なぜ人間は文章を書くのか?
私の話をする。
私だって文章を書くことは面倒くさい。
だけど、30代の後半ぐらいから1年に1冊くらいのペースで本を書いている。
「面倒くさいと思うのなら、やらなければいいのに…」と人は言う。
だけど、どういうわけか続けている。
なぜか?
生活のため…それもないわけではない。
だけど、それは理由としては小さい。
大きいのは、分かっていないことを分かりたいからだ。
橋本の言うこと…分かっているから書くのではなくて、分からないから書くのであり、それがそのまま考えることになる。
書くことを通じて私は、自分の考えを広げたり、深めたり、進めたりしていく。
本を一冊書くと、自分にとっての足場がひとつ増える。
その足場は、次に本を書く時の“陣地”になる。
陣地から下の方を見ると、今までわかっていなかったことが一望できて気持ちいい。
陣地から上の方を見ると、次に書くべきことが見えてくる。
『学び続ける理由 99の金言と考えるベンガク論。』ディスカヴァー
戸田智弘氏は、「分かる」について本書の中でこう書いている。
『「わかる」の「わ」と「か」を入れ替えると不思議なことに「かわる」になる。
これが意味するところは案外と深い。
「分かる」と「変わる」のである。
何か変わるのかといえば、世界の捉え方や世界の見方が変わり、それによって自分が変わるのである。』
「教えることは二度学ぶことである」(ジョセフ・ジューベル)
という言葉がある。
これは、「分からないから本を書く」ということとよく似ている。
スピーチでもプレゼンでも、人の前で発表するためには、事前にしっかりと調べたり、考えを整理し、まとめたりしなければならない。
そうすることによって、自分の理解はより深まる。
つまり、アウトプットすることが前提にあるからこそ、インプットする意味がでてくる。
すると、「教える」ことも「本を書く」ことも、今まではとても手の届かないことのように思えていたのが、少し気が楽になる。
「分かる」と「変わる」…
自分の一冊を出すことができたら素敵だ。 |
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