2019.7.19 |
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根底にある原理は変わっていない |
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落合陽一氏の心に響く言葉より…
IT化で資本主義のあり方は激変しましたが、そのいちばん根底にある原理は変わっていません。
それは、「誰も持っていないリソースを独占できる者が勝つ」という原理です。
だから株式を握っている資本家は大金持ちになれるし、アラブの石油王も大金持ちになれる。
スポーツや芸能の才能も、そういうリソースのひとつでしょう。
誰にも真似のできない技術や表現力を持っている人は、それぞれの分野で大成功します。
しかし、コンピュータが発達したいま、ホワイトカラー的な処理能力は「誰も持っていないリソース」にはなり得ません。
もちろん処理能力が高いほど成功の度合いも高まるでしょうが、その差は全体から見れば誤差の範囲にすぎないでしょう。
誰も持っていないリソースを独占している上のクラスとホワイトカラーのあいだには、ものすごく大きな差があるのです。
これまでの労働者は、「ホワイトカラー」と「ブルーカラー」の2つのクラスに大別されていました。
どちらかというとホワイトカラーのほうが上位に置かれていたわけですが、この区別にはもうあまり意味がありません。
たとえば米国の社会学者リチャード・フロリダは、それとは別に「クリエイティブ・クラス」という新しい階層が存在すると考えました。
簡単に言えば、これは「創造的専門性を持った知的労働者」のことです。
現在の資本主義では、このクリエイティブ・クラスがホワイトカラーの上位に位置している。
彼らには「知的な独占的リソース」があるので、株式や石油などの物理的な資本を持っていなくても、資本主義で大きな成功を収めることができるのです。
また、同じく米国の経済学者であるレスター・C・サローは「知識資本主義」という著書の中で、これからの資本主義は「暗黙知」が重視される世界になると訴えています。
「知識資本主義」の社会では知識が資本になるわけですが、それはどんな知識でもいいというわけではありません。
誰もが共有できるマニュアルのような「形式知」は、勝つためのリソースにはならない。
誰も盗むことのできない知識、すなわち「暗黙知」を持つ者が、それを自らの資本として戦うことができるのです。
フロリダとサローの考えを合わせると、これからは「専門的な暗黙知を持つクリエイティブ・クラスを目指すべきだ」ということになるでしょう。
ただ、これは若い人たちにとって、イメージするのが難しい。
なぜなら、クリエイティブ・クラスになるための道筋には「ロールモデル(模範となる人物)」が存在しないからです。
たとえばクリエイターの佐藤可士和さんは、間違いなくクリエイティブ・クラスでしょう。
アップル創業者スティーヴ・ジョブズも当然クリエイティブ・クラスです。
でも、それをロールモデルにして「佐藤可士和のようになりたい」「スティーヴ・ジョブズのようになりたい」といった目標を持っても、あまり意味がありません。
彼らは唯一無二の存在だからクリエイティブ・クラスなのであって、それを目指したところで、せいぜい頑張っても「もどき」にしかなれないからです。
「もどき」には、オリジナルな人が持っている暗黙知や、カリスマがありません。
見ればわかる形式知の部分だけを表面的になぞることはできても、そこには独自性がない。
要するに、「クリエイティブ・クラス」ではないのです。
ところが多くの大人たちは、しばしば子供たちに成功者の存在を教えて、「この人みたいになりなさい」とロールモデルを提示します。
しかし大事なのは、成功したクリエイティブ・クラスをそのまま目標にすることではなく、その人が「なぜ、いまの時代に価値を持っているのか」を考えることです。
それを考えれば、「誰かみたいになる」ことに大した価値がないことがわかるはず。
その「誰か」にだけ価値があるのですから、別のオリジナリティを持った「何者か」を目指すしかありません。
「誰か」を目指すのではなく、自分自身の価値を信じられること。
自分で自分を肯定して己の価値基準を持つことが大切です。
『これからの世界をつくる仲間たちへ』小学館
「誰も持っていないリソースを独占できる者が勝つ」とは、ブルーオーシャンで戦え、ということだ。
血で血を洗うような激烈な過当競争が繰り広げられる市場、レッドオーシャンで戦ってはいけない。
たとえば飲食店で、どこかで店が流行ると、メニューから店の雰囲気、制服、ひどいのは店名まで似たような名前を付けたりする人があらわれる。
そういう店は一時は流行っても、すぐに化けの皮がはがされ、たいがい店じまいへの道をまっしぐらだ。
流行っている店の本質的な成功要素を徹底的に学び、その「暗黙知」を身につけていないからだ。
これは言ってみれば、自分が目標とする「ロールモデル」と同じ。
本質的で中心となる、ボーリングいう、先頭のピン「ヘッドピン」を狙(ねら)うこと。
「ヘッドピン」を狙うことができる人は、たとえば流行っているラーメン屋さんを見に行っても、八百屋や魚屋の商売に生かせるかもしれない。
「根底にある原理は変わっていない」
己の価値基準を持てる人でありたい。 |
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