2019.7.10 |
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少し損して生きれば、言葉は優しくなる |
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萩本欽一氏の心に響く言葉より…
今の世の中を見ていると、全部「今すぐ得を取ろう」としている。
視野が短期的になっているようです。
僕は、今ではなく10年後に得になっているかどうか、というくらいでちょうどいいんじゃないかと思っています。
そもそも僕が中学・高校時代を過ごした昭和30年ごろは、得する話なんてありませんでした。
得することなんてめったになかったので、そういうことがあるとすごくみんな感動したものです。
今はちょっとしたことでも得をしようとしている。
特に汚い言葉で駆け引きをして得をしようとするのを見ると、何だか悲しくなってきます。
たとえば車同士がちょっとぶつかって、ぶつけたほうが「大丈夫ですか?」って聞いてきたとき、「大丈夫じゃないよ!」とか。
もっとひどいのになると、「大丈夫ですか?」って聞かれたら、「いや、ちょっと首が痛い」と言ったり。
その言葉で得をしようとしている。
そういう言葉が世の中に蔓延(まんえん)しているから嫌な気持ちになります。
ちょっとした車の事故があったとき、たまたまそばで聞いてたら、「お前がやったん」「うるせ〜、お前だろう」「ばかやろう〜、そっちがぶつけたんだろ」「コノヤロー、ふざけんじゃない!お前だろう」って延々に続いていました。
一度嫌な言葉を発すると、それに輪をかけてひどい言葉が相手からどんどん出てきます。
聞いているともう、殴り合いになりそうなほど。
そのあと、「お前があそこで無理にまがるからだ」とか、相手を非難して、最後は「俺はちゃんと減速した」とか言い訳になる。
だから最初にどういう言葉を選ぶかが大事で、その言葉が、その後の展開をよいものに変えていくんです。
だから僕は見かねて、こう言いました。
「ちょっと待って。二人の会話を聞いていると、どっちがお金を払うかということばかりで、言葉が汚いよ。僕がお金を払う。お金のことは気にしないで、話してみて」って。
そしたら、「ちょっと傷ついたけど、このぐらいは保険があるから大丈夫かな」とか、言葉が柔らかくなってきました。
「自分が得をしよう」ということを一つ抜くと、最初の言葉が優しくなるから、どんどん会話が穏やかになります。
いい言葉がいい言葉を引き寄せる。
相乗効果が生まれます。
反対に、はじめに何も考えずに言葉を投げつけると、とんでもない諍(いさか)いになってしまいます。
まずは最初のひと言が肝心。
でも、世の中、こんなに「得したい」という雰囲気が蔓延しているというのはきっと、生活に余裕がなくなってきているということもあるかもしれない。
だから個人の問題というより、これはもう社会の問題なのかもしれないと思いますね。
『ダメなときほど「言葉」を磨こう (集英社新書)』
何か悪いことや失敗して迷惑をかけてしまったとき、それを隠して最後まで言わない人がいる。
でも、それが後から分かったとき、まわりからの信用はゼロになる。
先に謝ってしまうと、自分が損してしまうと思うからだ。
うまく隠しおおせれば、自分の得になる、と。
少し損して生きれば、人はもっと優しくなれる。
ゆずったり、先に謝ったり、笑顔で接したり…。
仏教でいう「無財の七施」だ。
お金がなくてもできる七つのほどこしのことをいう。
一、眼施(がんせ) 優しいまなざしで人に接すること。
二、和顔施(わがんせ) おだやかな笑顔で人に対すること。
三、言辞施(ごんじせ) やさしい言葉で人に接すること。
四、身施(しんせ) 人のいやがる仕事など、自分の体でできることで奉仕すること。
五、心施(しんせ) 人に心を配ること。ともに喜び、ともに悲しんであげること。
六、床座施(しょうざせ) 席を譲(ゆず)ること。
七、房舎施(ぼうしゃせ) 自分の家を提供すること。
少し損して生きる人生を歩みたい。 |
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