2019.6.20 |
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一源三流 |
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致知出版社、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
世の中には人がつくった道を歩いていく人と、自分で道を作る人の二通りがある。
以前は後者の人生こそ尊いと思っていた。
だが最近、そうではないと思うようになった。
二つの道は別のものではなく、交錯しているということである。
孔子も釈迦も独自の道をつくった人である。
しかし、孔子も釈迦も最初から孔子、釈迦であったわけではない。
それぞれの成長期にそれぞれの道を学び、その道を踏査(とうさ)していくことによって独自の道をつくり出していったのである。
道をつくった人は、道をつくろうと思った人である。
その思いを強く熱く反復した人である。
行ったり来たりする中で道はできる。
一回通っただけでは道はできない。
このことは歴史が教えている。
「一源三流」という古語がある。
「一源」は誠、誠実である。
この誠、誠実を源とにして、
一、汗を流す
二、涙を流す
三、血を流す
すなわち、「三流」である。
汗を流すとは勤勉、努力すること、一心不乱に打ち込むことである。
涙を流すとは降りかかる困難に耐えて人知れず涙を流す、あるいは達成の喜びに感動の涙を流すこと。
血を流すとは命を込める、命をかけることである。
「一源三流」は人をつくり、道をつくる万古不易の原理である。
『小さな人生論5 (小さな人生論シリーズ)』致知出版社
「一源三流」とは、よく剣道や武士道において使われる言葉だ。
投資の神様、ウォーレン・バフェットは「誠実さ」についてこう語る。
『私は人を雇う際、3つの条件で判断する。
第一が人間としての誠実さ。
第二が知性、そして第三が行動力だ。
ただし第一の条件が欠けると、他の二つはその人を滅ぼす凶器と化す。』
汗を流すとは、勤勉であるということ。
もし、少しでもましな人間になろうと思うなら、凡人は、コツコツと日々努力する以外にはない。
また、涙を流すとは、人のために涙を流すことだ。
どんなに頭がよかろうが、「情」のない人間は人からは好かれない。
血を流すとは、身を削って、努力すること。
本気になることだ。
死に物狂いになって取り組めば、どんなに厳しい道であろうとそこに一筋の光を見ることはできる。
「一源三流」の道を歩みたい。 |
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