2019.5.17 |
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100%、自分が悪い |
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斎藤一人さんの心に響く言葉より…
この世の中は、自力の後に他力あり。
他力を願っているだけじゃ、なんにも起きない。
わかりますか?
たとえば、流行ってるケーキ屋は、最初、ケーキやなんかを修行して、おいしいケーキが作れるようになった。
お金もためてたから、自分のお店も出せた。
お客さんを喜ばそうってこともやってる。
その結果、店が流行ってるんです。
高校野球だって、甲子園に出てる子たちのこと、みんなが応援するけど、あの子たちは、みんなが応援してくれるだけのことをやってきたんです。
休みもなく練習して、グラウンドで一生懸命、ボールおっかけたり、やってるから、みんなが応援するんだよ。
なんの努力もしてなくて、人のこと、「いいな、いいな」っていってるだけじゃ、自分の人生、なに一つよくならない。
ラーメン屋をやってて、もし、お客さんがこないんだとしたら、ラーメンがおいしくないか、笑顔でお客さんと接していないか、いずれにしろ、自分に問題があるんです。
それを改良すればいいだけの話なんであって。
ところが、お客さんがこないのは、「世の中が悪い」とか、「政治が悪い」とかいってたら、なにも改良しようとは思わない。
だから、「100%、自分が悪い」っていう。
そしたら、千手観音のごとく、あの手、この手が出てくるんです。
人間のからだは、肉体と精神でできてます。
肉体のほうは、食べ物からとる栄養から作られる。
精神は、考え方、思う言葉。
食事のバランスが悪いと病気になるけど、人間、よくない考え方をしても病気になる。
そしたら、自分が病気になっちゃったんだとしたら、食事のバランスが悪いか、自分の考え方が悪いか、どっちかです。
隣に住んでるおじさんのせいで、自分が病気になるわけじゃない。
お向かいのおばあちゃんのせいで、病気になったわけじゃないんです。
そうやって、自分の問題だ、って気づけば、人間、「食事を改良しよう」とか、「考え方を改良しよう」とかってなるよ。
「あの医者に問題がある」っていうなら、ヨソの病院に行くこともできるよね。
だから、しあわせに生きる方法って、いろいろあるんだ。
それをやればいい。
だけど、「自分が被害者だ」と思ったら、あの手、この手が出てこない。
そしたら、具合はなかなかよくならないよ。
でも、「100%、自分が悪い」と思えば、元気に生きられるんです。
『斎藤一人 愛される人生 [音声特典付] (ロング新書)』
「100%、自分が悪い」ということは、自分を責めろ、と言っているわけではない。
そうではなくて、「人やまわりのせいにしないこと」だ。
人やまわりのせいにしたとき、自分は何も努力をしなくなる。
そして、自分が動かないことを正当化する。
「100%、自分が悪い」と思う人は、問題を打開しようと、ありとあらゆることを考える。
滝口長太郎氏の「打つ手は無限」という言葉がある。
『すばらしい名画よりも
とてもすてきな宝石よりも
もっともっと大切なものを私は持っている
どんな時でも、どんな苦しい場合でも、 愚痴を言わない
参ったと泣き言を言わない
何か方法はないだろうか
何か方法はあるはずだ
周囲を見回してみよう
いろんな角度から眺めてみよう
人の知恵も借りてみよう
必ず何とかなるものである
何故なら打つ手は常に無限であるからだ』
どんな問題に出くわしても、それを、「100%、自分が悪い」と思うなら…
「千手観音のごとく、あの手、この手が出てくる」
「打つ手は無限」、と心に刻みたい。 |
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