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2019.4.9

阿修羅の正義

ひろさちや氏の心に響く言葉より…

仏教では阿修羅(あしゅら)といった存在を考えている。

この阿修羅は、ほんらいは正義の神であった。

だが、彼はみずからの正義にこだわったがゆえに、ついに神々の世界から追放され、魔類とされてしまった。

正義の神を魔類にするところに、仏教のものの考え方の特色がある。

つまり仏教は、

「正義にこだわってはならない!」

と、われわれに教えているのである。

わたしたちは、ときに他人と対立し、争うことがある。

どう考えても相手に非があり、相手が悪い。

そういうときがある。

でも、だからといって、独り寝床の中で相手をなじり、相手をあげつらってみても、自分のこころは落ち着かない。

自分の正義を主張すればするほど、ますますイライラし、眠れなくなる。

じつは、それが「阿修羅の正義」である。

阿修羅は正義の神であるから、その主張は正しい。

けれども、仏教においては、阿修羅は魔類である。

したがって、あなたが「阿修羅の正義」を主張し、怒りを燃やしつづけるとき、あなたは魔類になっているのだ。

魔類にこころの平安がないのは当然である。

あなたは一刻も早く阿修羅であることをやめ、人間に戻らねばならない。

それにはどうすればよいか…。

あなたは正義にこだわることをやめて、相手にほんの少しだけいたわりの気持ちを持つことだ。

怒りそのものはそのままにしておいて(怒りを消し去ることは、所詮不可能である)、相手をかわいそうに…と思って、なにか一言、相手にやさしいことばをかけてあげる。

そのやさしさが人間であり、そのやさしいことばがあなたを阿修羅から人間に戻してくれるのだ。

仏教はそのように教えている。

『がんばらない、がんばらない (PHP文庫)』


小林正観さんの「正義感」の話がある。

『「自分はちゃんとしているのに、ほかの人はちゃんとしていないじゃないか」と、ほかの人を糾弾(きゅうだん)しはじめたとたん、後ちょっとで「人格者」になったのにもかかわらず、「怒り」「憎しみ」の感情が沸き起こり、ストーンと落ちてしまう。

ある段階までこなければよかったのに、レベルが高くなったがゆえに、「正義感」というものが頭をもたげ、結果として、ちゃんとしていない人に「怒り」「憎しみ」の感情を抱くようになってしまうのです。

「怒り」「憎しみ」という感情を振り回せば、当然、自分にも返ってきます。

ですから、「宇宙の法則」で見るととても損。

したがって、あまり「正しい人」にならないほうがいいようです。

「正義」や「使命」を自分の中に感じ、自分に課して生きていくのはいいのですが、周囲の人に振り回すととても迷惑だし、自分にとっても損なのです。

「正しい」ではなく、それをやることが「楽しい」のかどうかという価値基準でいると、今までにはない、楽しく、幸せで心穏やかな時間が待っているかもしれません』 (努力ゼロの幸福論)より

正義感を振りかざした途端、まわりから人は離れていく。

それがどんなに正しかろうと、一方的に言い立てられたら嫌になる。

また、お互いに自分の正しさを主張し合ったら、最後はケンカになって終わる。

正義感を振りかざす人は、人を許すことができないからだ。

正しいか正しくないかではなく、楽しいか楽しくないか。

正しく生きるより、楽しく生きるほうがいい。

「阿修羅の正義」

正義感を振りかざさない人でありたい。



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