2019.2.16 |
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良寛和尚の生き方 |
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笠巻勝利氏の心に響く言葉より…
悟りの境地に至った良寛和尚の生き方は真似ることはできないが、自分の人生や心のあり方を柔軟にしてくれるだろう。
和尚の詩の中に、次の一篇がある。
「禅板(ぜんばん)と座布団を持って行かれてしまった。泥棒が草庵に盗みに入るのは止むに止まれぬ理由があったのだろう。夜もすがら、ひっそりとした窓辺に、ポツンと座っていると、まばらな雨が苦竹(まだけ)の林にわびしい音を立てている」
「禅板」とは、禅僧が座禅するとき、体を支えるのに用いる板のことである。
五十五センチメートルほどで、上部に小さな穴が空いている。
荒れに荒れた貧乏寺に忍び込む盗人(ぬすっと)にも、止むに止まれぬ事情があるのだろうと思う心のやさしさ、せつなさがヒシヒシと伝わってくる。
和尚は、生きていくために必要な食べ物を托鉢に頼っていた。
その様子は、次の漢詩に詠まれている。
「町の四つ辻で托鉢を終えて八幡宮のあたりをブラついていたら、子供たちが見つけて、こんな言葉ではやしていた。“ほら、去年も来たバカ坊さんが、また、やってきたぞ”」
子供たちにせがまれると、一緒に手まりをついて時間を忘れて遊んだ。
ときには、托鉢先に求められると遅くまで漢詩を書いて置いてきた。
必要な食料をもらえないと、腹をすかせてトボトボとボロ寺へ帰っていった。
和尚は、「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候(そうろう)。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是は災難を逃れる妙法にて候」と。
そして、七十四年の生涯を終えるときの辞世の句は、「うらを見せ おもてを見せて、ちるもみじ」である。
私たち凡人に真似はできないかもしれないが、落ち込んだ時などに心の支えとなるだろう。
『眼からウロコを落とす本 (PHP文庫)』
本書の中に良寛和尚の「戒語(心良からぬ言葉への戒め)二十」という一文があった。
1. 言葉の多いこと
2. あわただしくモノを言う
3. モノ言いがくどい
4. “俺がこうした”などの自慢話
5. 人がモノを言い切らぬうちに言い出す
6. 我がことを強いて押しつける
7. 他人の話を鼻であしらう
8. 過ちをつくろい飾る
9. 好んで唐言葉を使う
10. 酒酔いして理屈を言う
11. 憎き心をもちて人を叱る
12. 人をあなどる話
13. 減らず口
14. たやすく約束する
15. 筋なき長話
16. いささかなことを言い立てる
17. 言うても詮なきこと
18. おかしくもないのに笑う
19. 人のことを暴く話
20. もめ事やけんかの話
以上、口を開くごとに、人から嫌われたり、自分の評価を下げるような話は避けたいものである。
『「愛語(あいご)」という言葉は、良寛和尚(りょうかんおしょう)が好んで使っていたと言われています。
良寛和尚の「愛語の心」とは、こういうものだと聞きました。
「自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。
だからせめて、心をあたたかくするような、心を安らげるような『言葉』をあげたい。
それならいくらでもあげることができるから」
良寛和尚は、自分の口から出てくる言葉を「あたたかい言葉」「やさしい言葉」「思いやりに満ちた言葉」にしたいと思っていたようです』(小林正観)
相手の気持ちをあたたかくする「愛語」を多く使い…
良寛和尚には及ぶべくもないが、少しでも近づけるような生き方を目指したい。 |
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