2019.2.15 |
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親の粋な言葉 |
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萩本欽一氏の心に響く言葉より…
僕の大好きな人に、藤村俊二さんがいます。
オヒョイさんのあだ名で知られた藤村俊二さん、もうこの世にはいませんが、僕の中ではずっと生き続けています。
何が素晴らしいかって、あの洒脱(しゃだつ)さ。
見かけも考え方も生き方も、すべてが洗練されていて、素晴らしい才能の持ち主。
なのに、全く出しゃばる気配がない。
言葉もまた、美しいんです。
「僕は芸能界の箸休めでありたい」。
いつもそう言っていました。
メイン料理は他の人に任せて、自分はメイン料理のあとに口の中をさっぱりさせる箸休めの存在でいたいと。
「好きな花はかすみ草」というのも、オヒョイさんの人柄をよく表しています。
かすみ草ってすごく美しいのに、他の花の邪魔をせず、うまく引き立てる役割ができますから。
僕はオヒョイさんと会うたび、そして話を聞くたび、自分が恥ずかしくなって反省していました。
下町で生まれ、浅草の劇場で修行を積んだ僕は、「ガサツ」なままテレビの世界にやってきて、「一番」を目指してがむしゃらに突っ走っていた。
オヒョイさんは、そんな僕の対極にいて、静かにキラキラ輝いている存在でした。
それにしても、一体どうしたらオヒョイさんのような洒落者ができあがるんだろう?
長年疑問に思っていましたが、あるエピソードを聞いて、その謎が解けました。
お金持ちのお坊ちゃんとして湘南で育ったオヒョイさんは、18歳のときに伊豆の伊東で芸者遊びを覚え、スッテンテンになって家に帰ってきたそうです。
そのとき家に誰もいなかったのをいいことに、オヒョイさんは道具屋さんを呼んで家にあった美術品、骨董品(こっとうひん)を売り払い、その代金を持って伊東へ逆戻り。
またもやお金を使い果たして戻ってくると、今度はご両親が揃っていました。
勘当を覚悟してオヒョイさんがご両親の前で正座をすると、まず母親がこう言った。
「ずっとおつむを下げてなさい。そうすりゃ意見が上を行く」
これ、すごく粋な言葉ですよね。
頭を下げて反省の態度を示していれば、小言は頭の上を通り過ぎていく、つまり無事に治まると。
で、親父さんはどんな意見をしたかと言えば、これがまた絶妙。
「俊二、お前は目が高い。お前は高いものばかり選んで売ったぞ」
ひと言こう言っただけで、これ以降、親父さんは一切小言を言わなかった。
かくしてオヒョイさんという人物ができあがった、と僕は思っています。
子どもがいけないことをしたとき親はどんな言葉をかけるか、これだけで子どもの人格形成、方向性が決まることがあります。
子どもを叱るときは、ただ正論を並べるのではなく、こうした粋な言葉をかけるほうが子どもの心に残り、結果的に軌道修正されていくのだと思います。
『ダメなときほど「言葉」を磨こう (集英社新書)』
医師の鎌田實氏が「オヒョイさん」についてこんなことを書いている。
『「オヒョイ」が、藤村さんのニックネーム。
なぜそう呼ばれているのか、理由を聞いた。
「イヤなことから逃げるんです。ヒョイッと」笑いながら、そう言う。
まるで子供のような、あどけない顔だ。
「たとえば、お酒飲んでいてイヤなヤツが来たら、そのままヒョイッと他の店に行ってしまったりなんかして(笑)。うまいんです、逃げちゃうの」
いいな、と思った。
逃げることって、ムダな争いや、してもしかたない抗(あらが)いをしないですむ知恵なんだ。
「がんばらないというのはカッコいいことです。がんばっている姿を見せるのは、カッコ悪い。水面をスイスイと泳いでいる水鳥も、水中では一所懸命もがいている。しかし、私はもがく姿を見たくないし、見せたくないんです」
もちろん、ヒョイッと逃げるのが得意なオヒョイさんだって、いつも逃げているわけじゃない。
早稲田大学文学部演劇科ニ年のとき、理論や歴史を教えるだけの授業に物足りなさを感じて、大学を中退。
東宝芸能学校でダンスと歌を習い、日劇ダンシングチームに入った。
その後パリに渡り、安アパートの屋根裏部屋を借りてパントマイムの学校に通った。
イヤなことはしない代り、やりたいと思ったらすぐやるのが、オヒョイさん流。
見えないところでたくさんの努力をしている』(人は一瞬で変われる・集英社)より
どうしても叱らなければいけないとき、その叱り方が問題だ。
言葉の使い方一つで、粋にもなるし、相手を傷付けるナイフにもなる。
その場を、明るくほのぼのとさせたいのか、心を冷え込ませたいのか。
言葉を磨いて…
粋な親、粋な大人になりたい。 |
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