2019.2.2 |
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人生は、ただ一場の夢 |
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無能唱元氏の心に響く言葉より…
三十歳の頃、野尻湖を訪れたときのことです。
夏の夕暮れ、私は東岸の道を散歩しておりました。
すると、近くの林の中から、林間学校の生徒たちのものらしい合唱の歌声が聞こえてきました。
それは有名な輪唱曲「ロウ ロウ ロウ ユア ボート」でした。
私は立ち止まり、みずうみの対岸を見つめながら、しばらくその歌声に聞き入りました。
この頃、私は英会話を学んでおりましたので、そのとき、それまでは気にもかけていなかった、この歌の内容を何気なく訳しながら聞いていたのです。
ロウ ロウ ロウ ユア ボート
ジェントリ ダウン ザ ストリーム
メルリー メルリー メルリー メルリー
漕(こ)げよ 漕げよ 漕げよ 小舟を
おだやかに 流れにそって くだれ
楽しげに 楽しげに 楽しげに 楽しげに
そして、これに続く、この歌の終章を聞き、その意味を初めて知ったとき、私は愕然(がくぜん)としたのです。それは、
ライフ イズ バット ア ドリーム
人生は ただ一場の 夢
という一行でした。
「なんということだ!」と私は思わず、うめきました。
ただの単純な童謡だと思っていた歌詞の中に、古典的日本文学にただよう仏教的諦観(ていかん)にも共通する表現があろうとは!
「無常迅速(むじょうじんそく)」「一期一会」などと、言い表されている、人生の哀感が、この童謡の中の、しかもたった一行に、かくも突然に、かくも衝撃的に言い表されていようとは!
私はしばし呆然(ぼうぜん)として、みずうみを渡ってゆくこの輪唱の響きを聞いていたのでした。
人生における幸せとは、この幻とも思えるひとときを、いかにイキイキ、ワクワク過ごせるかにかかっていると言っていいでしょう。
みずうみのほとりで、そう気がついたとき、それは私のサトリでした。
『小さなサトリ―ミニ・エンライトメントが人生を変える』河出書房新社
城山三郎氏の小説にこんな一節がある。
『一期(いちご)の盛衰(せいすい)、一杯の酒。
一代の英雄の興亡盛衰の重さも、一杯の酒のうまさに叶わぬ、というのね。
ついでにいえば、わが人生、酔生夢死という終わり方をしたいわ』(本当に生きた日)より
室町時代の「閑吟集」にも、こんな言葉がある。
「何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」
いったい何をしてるんだ、まじめくさって。
人生なんて一瞬の夢よ。
面白おかしくただ狂え、と。
「人生は、ただ一場の夢」
人生を、面白がって、楽しく、暮らしたい。 |
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