2019.1.7 |
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かき混ぜられたコップの中の泥水 |
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佛母寺住職、コーネル大学宗教学博士、松原正樹氏の心に響く言葉より…
心配、不安、焦り、悲しみ、嫉妬、怒り、湧き上がってきた感情に振り回されたり飲み込まれそうなときは、これからお伝えするコップの話を思い出してください。
透明なコップに水と土を入れ、箸(はし)でグルグルとかき混ぜた様子をイメージしてみましょう。
かき混ぜた途端にコップの中の透明度は失われ、コップを目の高さまで持ち上げ、どの角度から覗(のぞ)き込んでみても、中に何が入っていたか判別が難しくなります。
ここで一度、平らな場所にコップを静かに置いてみましょう。
かき混ぜられて渦(うず)を巻いていた泥水は、少し待っている間に少しずつ波が静まっていき、落ち着きを取り戻します。
そして、時間が経つとともに、重たいものは下へと沈んでいき、コップの中身がはっきりとわかるようになります。
このかき混ぜられた泥水こそが、私たちの心の状態です。
私たちの日常はいつなんどきも感情とともにあり、手放すにしろ執着するにしろ、湧き上がってくる感情に対処することを繰り返しています。
つまり、私たちの心は、かき混ぜられたコップの中の泥水のように混沌(こんとん)としているのです。
いつも泥水のままで視界がクリアになる瞬間がなければ、自分の本心がどこにあるのか、何を大切にしたいと考えているのか、湧き上がった感情の何に反応して心が乱されているのか、わからなくて当然です。
だから、いったんコップを置き、心を鎮めることが必要なのです。
実は、このコップを置くという動作こそが、座禅です。
座禅のやり方はいくつかありますが、基本となるのは、座禅という字の通り安定した土(大地)の上に座ることです。
まずは座って、コップを置くのと同じように、心を落ち着けます。
心の波が穏やかになってくると、コップの中身が水と土であったとわかったように、自分は今いちばん何が気がかりであるのかや、何を思っているのか、何を心配しているのか、といったことがわかってきます。
さらに、中身は何かと覗き込むと、泥の中には枯葉や小さな虫が混ざっていることにも気づきます。
日常では見落としていた、自分の本当の気持ちに出会うようなイメージです。
今は情報の流れるスピードも速く、すぐに答えを求めようとしてしまいがちですが、静かにコップを置いたら、答えが出るまでそのままのんびり待ちましょう。
答えになかなか出会えないときは、泥水の土の分量が多いのかもしれない。
そんなふうに考えて、コップの中身がクリアになるのを気長に待ちましょう。
『心配事がスッと消える禅の習慣』アスコム
本書の中にこんな話があった。
『花のお寺と呼ばれる鎌倉のあるお寺の和尚さんのもとに、あるとき、悩みを抱えた男性がやってきました。
男性の胸の内を聞いた和尚さんは、「わしに答えはようわからんから、そのへんでゆっくりしていきなさい」と庭を指差しました。
その寺の庭園は、世界遺産に指定されている京都の苔寺や天龍寺の庭園を手がけた、夢想国師(むそうこくし)によって作られた立派なもの。
男性は和尚さんにいわれた通り、朝から夕方まで庭を眺めてすごしました。
日も暮れかけた頃、「和尚さん、答えがわかりました」といって、寺を後にしたそうです。
私にも似たような経験があり、寺を訪ねてきた40代後半の女性が、夫を亡くし、仕事も失い、生きているのが嫌になったというので、「とりあえず座りましょう」とうながして、しばらく一緒に庭を眺めていました。
小一時間すると、その女性はすっくと立ち上がり、「もう大丈夫です」と、清々(すがすが)しい笑顔で帰っていかれたのです』
『どんなことに対しても一喜一憂しない心をつくるとものすごく人生が楽になります。
何を言われてもにこにこしている状態を、強靭な魂と言いますが、私が発見した方法を使えば、15秒くらいでこれをつくれます。
必要なことはただひとつ、「ぼ―っ」とすること』
と、小林正観さんは言った。
ぼーっとしていれば、どんなに濁った水でも、コップの中は、時間がたてば水と泥に分かれて、澄んでくる。
庭や景色を、ただただぼーっと眺めるのも同様だ。
たいていのことは時が解決してくれる。
ときに、ぼーっとすることはとても大事だ。 |
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