2019.1.1 |
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元旦によせて(平成31年) |
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小林正観さんの心に響く言葉より…
昭和20年8月30日、ダグラス・マッカーサー元帥が日本に降り立ちました。
終戦後、GHQの最高司令官として日本の占領政策を進めるために来たのです。
約1ヵ月後の9月27日に昭和天皇が会いにくるということになった。
マッカーサーは、どうせ命乞いに来るのだろうと思って、自分の部屋でコーンパイプをくゆらせて足を組んで待っていた。
迎えには出なかったそうです。
昭和天皇は燕尾服(えんびふく)を着てやってきて、「マッカーサー元帥、お願いがあります。ここに皇室の財産目録があります。私の命とこの財産目録を差し出しますから、日本国民のためにアメリカから食料を送っていただきたい」と言ったそうです。
マッカーサーは驚いた。
今までいろんな人に会ってきたけれど、命乞いするとか亡命をするという人ばかりであって、自分の命を差し出すというトップの人には一人も会ったことがなかった、それで大変驚いたのだそうで、話をしているうちに、この人はポーズで言っているのではなくて、本当に心からそういうふうに言っているのだと思ったそうです。
命も本当に差し出し、財産目録も本当に差し出している。
その財産目録を見たら、細かいものまで全部載っている。
昭和天皇が本当に誠心誠意対応したということがわかり、マッカーサーは本国に連絡して、子供用の食べ物、特にチョコレートやチューインガムを大量に送らせました。
そして、届いた食べものを米兵を使ってどんどん配り始めた。
あのチョコレートとチューインガムを配っていたのは米兵の厚意であるけれど、実はその根っこには昭和天皇の一言があったのです。
マッカーサーが要請して、食べ物が来たのですが、その根底は、日本国民に食べ物を与えてほしい、もっと多くのものを取り寄せてほしいと言った昭和天皇の言葉だったということなのです。
マッカーサーは、その人格に打たれて、昭和天皇が帰るときには玄関まで見送ったそうです。
そして、昭和天皇の車が出て行くときに、敬礼をしたという話が残っています。
別に私は昭和天皇や天皇家を礼賛しているつもりはありません。
ただ、人間の意識として、自分の命を助けてくれ、なんとかしてくれというのとは違うところに意識を持っていく人がいるということ。
人間には、そんなことが可能だということです。
1月1日、天皇陛下は東西南北四方に向かい、正座をして、お祈りするそうです。
「今年この国に災いがあるとしたら、まず私の体を通してからにしてください」。
これを四方拝(しほうはい)といいます。
天皇家といものは、それを毎年繰り返しながら、100代以上にわたって生きてきた家系だそうです。
天皇家というのは、そういうことを言い続けてきた家系である。
そして災いを一身に浴びて、背負いきれなくって亡くなると、それを皇太子殿下が受け継いで、また災いを一身に浴びて死んでいくという、そういう家系だったということです。
聞いた話では、天皇陛下と皇太子殿下がヒソヒソと話をしている場面というのが結構あるそうですが、侍従長さえも、なんの話をしているのかはわからないそうです。
天皇から皇太子にだけ教えていることがある。
四方拝もどうもそうらしく、わが身に全部降らせてくださいというのは、ほかの人には一切知らせず皇太子だけに教えていくらしいのです。
それが漏れ伝わってきたのはありがたいことで、それを活字にして書いてしまっていいのかなというところはあるのですが、人間の魂がここまで崇高なところに行くことができる実例として、どうしても紹介したくなりましたので、書くことにしました。
『なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?』イースト・プレス
1月1日の早朝、宮中や各地の神社で早朝から「歳旦祭(さいたんさい)」という祭祀(さいし)がおこなわれる。
歳旦とは、1月1日の朝のことをいうが、新玉(あらたま)の年の初めを寿(ことほ)ぎ、五穀豊穣(ごこくほうじょう)や、国家の隆盛と国民の平安をお祈りするお祭りだ。
天皇陛下は四方拝をすませたあと、朝の5時半から歳旦祭を行う。
明治天皇がつくられた新年にふさわしい和歌がある。
『あしはらの国のさかえを祈るかな 神代ながらの年をむかへて』
葦原(あしはら)の中つ国とは、日本の古称。
神代のまま変わることのない新年を迎えて、日本の永遠の栄えを神に祈る。
『さしのぼる朝日の如くさわやかに もたまほしきは心なりけり』
昇ってくる朝日のように、さわやかな気分を持ちたいものである。
あたかも、本日は平成最後の元旦。
今年一年、ご縁のある皆様の弥栄(いやさか)を祈念し、新年のご挨拶とさせていただきます。 |
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