2018.12.25 |
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二脚の小さな椅子 |
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弁護士、湯川久子氏の心に響く言葉より…
子どもが小さいときは、かわいいものです。
その子がいるというだけで幸せな気持ちになります。
思い出も楽しいものばかりです。
しかし、その子が大きくなったとき、必ずしも親の期待どおりになるとはかぎりません。
不登校の娘、家庭内暴力の息子、十代で妊娠出産した娘、高校、大学、結婚と順調だった娘の離婚、就職に失敗してノイローゼになった息子など、彼らの親の苦労はどれほど深く大きいものか。
「息子は中学までクラスで一、二番でした。やさしい子でしたが、高校受験に失敗してから性格が変わってしまい、悪い仲間と遊ぶようになりました。主人が一度きつく叱りましたら、家出してそれっきり帰ってきません。友だちの話では、暴力団に入っているらしいのです」
「娘は完璧に育てたつもりです。なのに離婚だなんて。私の子育てがどこかで間違っていたのですね」
「こんなことになるのなら、いっそ子どもなんていないほうがよかった。子どものない人がうらやましいです」
それぞれに悩む親の苦悩を聞いていると、子どもへの深い愛情に比例して、後悔や自責の念が伝わってきます。
私はといいますと、司法試験に挑戦していた二十代後半から三十代はとても忙しい日々でした。
周囲の人たちの手助けもあって、なんとかやってきましたが、百点満点の親だったかというともちろんそうではありません。
もっと、かまってやればよかった、という悔いはたくさんあります。
でも、過去は取り返せません。
当時の若かった自分にとっては、それがせいいっぱいの育児だったと思うのです。
こどもたちはすでに大きくなっていた、ある日のこと。
押入れを整理していたら、子どもらが小さいころに使っていた椅子が出てきました。
ピンクとブルーの二脚の木製の椅子は、色あせて、金具も錆(さ)びています。
「もう使わないから、捨てちゃおうか」
「いいだろう」
夫と私は、椅子を一脚ずつ手に持って、ゴミ捨て場に持っていき、壊れた家具の上にそっと置きました。
その帰り道、私はもう後悔しはじめていました。
当時は上質だった小さな椅子に、チョコンと座って食事をしていた子どもたち。
もうすっかり大きくなりましたが、幼かったころのかわいらしい顔と、当時の思い出がその椅子には残っていました。
なくなっていたらどうしよう、と思いながら、私は暗い道を一人でゴミ捨て場に走りました。
椅子は、私を待っているかのように、二脚並んでこちらを見ていました。
まだまだ未熟で、目の前の仕事と育児に必死に向き合ってきた私。
充分にかまってやれませんでしたが、笑顔と成長を見せてくれた幼かった子どもたち。
二脚の木製の椅子は、その思い出を刻んだものでした。
子どもの小さかったころの写真や思い出の品を見ながらそのときのことを思い出すと、「あの時代をたしかに共に生きたのだ」という気持ちになり、少し心が落ち着くものです。
「子どもは成長する過程で、百粒を超える喜びと幸せを親に与えてくれるが、子どものことで傷ついた親は、百粒の涙を流す」と言います。
子どものことで苦労した親は、人として成長し、人にやさしくなります。
そう考えると、親としての自分を育ててくれるのは、自分の親でも先生でもなく、子ども自身なのです。
子が親の期待通りに育ってくれるなど、そうそうありません。
子に過度の期待をしたくなるときほど、自分は子をたしなめる資格があるのか、自問します。
子は親の背中を見て育つと言いますが、まさにそのとおりです。
子は親の「言うこと」は聞きませんが、「親がしてきたこと」はそのまま真似るものなのです。
『ほどよく距離を置きなさい』サンマーク出版
「子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの」という言葉がある。
また、『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』の中にもこんな歌がある。
「遊びをせんとや生れけむ
戯(たはぶ)れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ動がるれ」
子どもは、遊びや戯(たわむ)れをするために生まれてきたのだろうか。
遊び戯れる子どもたちの声を聞いていると、愛(いと)おしさに自分の身体も動いてしまう。
愛おしくて、可愛い子どもなのに、気が狂ったように怒ってしまった、というような経験がある親は多い。
「子ども用の小さな椅子」
子どものことで苦労した親は、人として成長し、人にやさしくなれる。 |
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