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2018.12.16

人に喜ばれることをしてみましょう

本田健氏の心に響く言葉より…

「人間関係」と言ったとき、多くの人はおそらく、家族・友人・仕事(学校)関係の三つくらいのカテゴリーを思い浮かべると思います。

実際、住所録をつくるときも、「家族・親戚」「友人」「仕事(学校)関係」と三つのファイルに分けている人が多いのではないでしょうか。

人間関係には、「自分で決められる」関係と、「決められない」関係があります。

「自分の好きな人とだけ、つきあっていればいい」のであれば、世界はシンプルでストレスもなく、うまく回っていたかもしれませんが、現実はそうではありません。

まず、家族・親戚は、自分で決められません。

パートナーは別としても、自分の親や生まれてくる子どもは、自分の意思では選べません。

仕事(学校)についても、勤め先(クラス)の人間関係は、基本的に押しつけられるものです。

「この人と働きたい(一緒のクラスになりたい)」と願っても、思い通りにはならず、変な人・ウマが合わない人が、たいてい一人くらいは混ざってしまいます。

そう考えると、自分で決められる人間関係は、友人・知人くらいしかありません。

このように、私たちはきわめて選択肢が少ない中で、人間関係をつくっています。

だから、ウマの合わない人と「うまくいかないこと」があるのは、当然なのです。

トランプで言うと、「最高のカード」がそろっていない状態でプレーをさせられているわけです。

そして、手持ちのカードを捨てる機会もなかなかありません。

たとえば、親のことを心から尊敬できる人は実は少数派で、極端なケースでは「親とは二度と会いたくない」というくらい、親と合わない人もいます。

ある意味で、正反対とも言える性格の人が、親子になってしまったケースもたまにあります。

親子らしい会話がまったくできないぐらい、相手が“天敵”のようになってしまうと、大変です。

そうなると、壮絶な戦いが起きます。

「お互いが相手を選べない」ところに悲劇があるわけです。

職場でも、基本的に価値観が自分と違う人たちと折り合っていく必要があります。

ですから、「人間関係で悩む」のは当然ですし、とても自然なことなのです。

普通の生活をしていると、自分の人生の中に、たいてい一人や二人は、よく理解できない人が混じってきます。

それは、人生の“辛口のスパイス”みたいなものです。

人生は“甘口のスィーツ”だけだと、ちょっとつまらないものです。

ときには、唐辛子のような人と出会って、「ヒーヒー」と言うぐらいが、おもしろくなってくると考えてみましょう。

自分の不運をただ呪うのか、「人を理解するチャンスをもらった」ととらえるかで、あなたの今後も変わってくるでしょう。

考えてみれば、地球上には70億人もの人がいるにもかかわらず、私たちが個人的につきあっている人は、ほんのわずかです。

ほとんどの人が、たった30人程度の人間関係の中で動いています。

知り会いを含めても、つきあいがあるのがせいぜい百人くらいのものでしょう。

こうした“スモール・ワールド”が、この地球上には同時に無数に、存在しているわけです。

実際に、携帯電話の履歴を一週間分調べてみたら、緊密に連絡を取り合っている相手は、せいぜい30人ぐらいという人がほとんどでしょう。

仕事関連の人たちを含めて、その30人くらいの人たちが、“あなたの世界”なのです。

彼らをどれだけ理解して、彼らにどれだけ理解されているのか…「人間関係の質」は、そこで決まります。

驚くべきことに、実は私たちは、この30人のことすら、ろくに知らないのです。

“自分の世界”を形成している人たちが、人生で何を考え、何を感じているのかも、ほとんど理解していないし、あなた自身もまわりの人から理解されていません。

『なぜ、あの人はいつも好かれるのか (単行本)』三笠書房


本田健氏は本書の中でこう語る。

『「決められてしまった人間関係」の中で、どうやって幸せを見出すのかを考える、ことです。

「どうして私の家族はこうなんだ」とイライラし、悩みながら生きるのか。

あるいは、その中で幸せを見つけていくのか。

家族関係で苦労が多かった人、悩まされた人は、「出口の見えない混沌とした状況から、どう幸せを見つけていくか」という、人生で一番必要なトレーニングを、ごく幼い頃から受けていた、と考えてください。

生きていく上で、「自分の好きな人ばかりの班」に属せることは、ほとんどないと考えたほうが現実的です。

そして、家族関係で幸せな人は、「この世界は楽しいところなんだ」と素直に感じながら人生を生きるでしょう。

そういう人は、ぜひその幸せをかみしめましょう』

「お互いが相手を選べない」というのが世の中の常(つね)。

それを、「置かれた場所で咲きなさい」と渡辺和子さんは言った。

渡辺さんが自身を失い、修道院を出ようとまで思い詰めたとき、ある宣教師の方が短い英語の詩を渡してくれたという。

そこにはこんな言葉があった。

『いただいた詩は、「置かれたところで咲きなさい」の後に続けて、こう書かれていました。

「咲くということは、仕方ないと諦めることではありません。

それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと、証明することなのです」』

どうにもならないことに文句を言ったり、愚痴や泣き言を言っても、事態は何も変わらない。

そんなことより、どういう状況に置かれても、その中に、楽しさや喜びや幸せを見つけること。

「置かれたところで咲きなさい」という言葉をかみしめたい。



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