2018.10.31 |
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僕たちはどう伝えるか |
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オリエンタルラジオ、中田敦彦氏の心に響く言葉より…
人間は「何を伝えるか」に心を捕らわれやすい。
どんな言葉を使うか。
それに執着してしまう。
だが、真実は真逆である。
「なにを伝えるか」よりも、「どう伝えるか」のほうが圧倒的に大事なのだ。
たとえば「愛してるよ」という言葉を伝えるとする。
スマホをいじりながら、目線を落として、疲れた声で「愛しているよ」と言う。
どう伝わるだろうか。
きっと「愛していないのだな」と思うだろう。
逆に「大嫌い」という言葉がある。
顔を赤らめて、恥ずかしそうにしながら潤んだ目で「大っ嫌い…」と言う。
どう伝わるだろうか。
きっと「大好きなんだろうな」と思うだろう。
人は聞いているようで、聞いていない。
「言葉を言っている人を、見ている」のである。
テレビロケのジャンルとして、「食レポ」というものがある。
はやりのグルメをタレントやアナウンサーが食べて、視聴者に味を伝える。
食レポが上手だと言われる人と、下手な新人タレントではまったく違う。
今度テレビで見る機会があれば注目してほしい。
なにがまったく違うのか。
「話す前の顔」なのだ。
新人は食べたあと、なにを言おうか考えてしまう。
そして、考えていることが顔に出てしまう。
そのあとで、「美味しいですね…。 外がサクサクで中がフワフワで…」と話し出す。
視聴者は違和感を抱いてしまい、その言葉が入ってこないのだ。
伝わってくるのは「美味しさ」ではなく「予定調和」である。
それに比べると、食レポの達人は、言葉を発する前から美味しそうなのだ。
匂いを吸い込んで微笑み、待ちきれないという勢いで口に入れ、噛んでいる間に目を見開き、飲み込んだ瞬間に感動したような大声で「…美味しい…」と言う。
すでに、言葉を伝える前に、美味しさは伝わっている。
これは、プレゼンでもまったく同じことなのだ。
「私の話を聞いてもらえますか?」そう言って注意を引きつけたとき、
そのときの自信のある顔や落ち着いたたたずまい。
それこそがプレゼンなのだ。
言葉を発する前に、決着はつく。
「この人がこれからする話は、おもしろそうだな」
開始10秒で観客の心を「つかむ」。
それができなければ、そのあとは長く苦しい戦いを強いられる。
一度失った興味や関心を取り戻すことは、上り坂の途中で自転車を降りてからまた漕ぎ出すように、とてつもないエネルギーが要る。
お笑い芸人だからこそ、確信を持って言える。
最初が肝心なのだ。
お笑いはまさに、それを表す言葉がある。
「つかみ」。
最初に心をつかめるか。
それはまさに、ネタ全体がウケるかウケないかを左右する、最初の大勝負なのだ。
プレゼンとは戦いだ。
聞き手の心をつかむか、それともつかみ損ねるか。
話し終わったあとに、伝わったか、伝わらなかったか、それを痛烈に感じるだろう。
勝敗が不明瞭な「芸術」ではない。
勝敗が歴然とついてしまう「格闘技」なのだ。
しかし、「言葉の格闘技」ではない。
「表現の総合格闘技」である。
総合格闘技とは、パンチやキックといった打撃技だけでなく投げ技、関節技などのさまざまな攻撃法を駆使して勝敗を競う格闘技だ。
言葉は、あくまでもその中の打撃技のひとつにすぎない。
そこに捕らわれていたら、プレゼンでは敗北するだろう。
達人は、凡人がパンチを発するよりも前に、違う技を繰り出しているのだ。
『僕たちはどう伝えるか (単行本)』宝島社
「人は見た目が9割」と言われる。
アメリカの心理学者であるメラビアンによれば、見た目にとって大切なのは、表情が6割、話し方が3割、話す内容が1割、と言われる。
好印象を与える表情とは、言うまでもなく、にこやかな笑顔のこと。
しかし、いくら、笑顔があって、堂々としてはっきりとした話し方で、話の内容がよくても、人と会う時にパジャマや寝間着姿だったとしたら、誰もが好印象は持たないだろう。
つまり、見た目の大前提として、服装は大事だということ。
古来より、人に伝えること、そしてそのことによって、人に影響力をあたえることは成功者の必須の条件だった。
秀吉にしろ、信長にしろ、家康にしろ、戦国の武将たちだけにとどまらず、古今の英雄、成功者は、すべて「伝えること」の達人だった。
「魅は与によって生じ求によって滅す(みはよによってしょうじ、ぐによってめっす)」
という無能唱元氏の言葉がある。
人に与えるものはお金や物といった物質や、満足感、充足感といった心のこと。
心とは、笑顔や、相手を和ませる態度、あたたかで、やさしい気配り、あるいは、元気付けられ、勇気付けられる言葉だ。
まさに伝え方の達人は、この魅力を備えている。
人への伝え方を磨きたい。 |
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