2018.10.12 |
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大死(だいし)一番 |
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茂原機能クリニック医長、伊藤豊氏の心に響く言葉より…
人間が死にもの狂いになったとき、常識を超えたすさまじい力を発揮できることは、日常よく耳にしたり、実際に経験することです。
極限の状態における人間の力は想像以上に強烈です。
こんな力が、日常生活や仕事の上で、ここ一番というときに発揮できれば、人生はすばらしいでしょう。
天風先生は、「人間は本来そういう力を持っている。それに気づかないでいるだけだ」と言っています。
禅に、「大死底人(だいしていのひと)」という言葉があります。
これは、趙州(じょうしゅう)和尚と投子大同(とうすだいどう)禅師との間で交わされた会話に由来しています。
「趙州、投子に問う。大死底の人、却って活するときいかん。投子いわく、夜行を許さず、明に投じて、須らく到るべし」
つまり、「心身ともにこだわりを超越でき、煩悩、妄想、欲を払い尽くした人(大死底人)が新しい生を得るにはどうしたらいいのかね」
「夜歩きせず、明るい朝を待ってから行けば、どこにでもたどりつけるさ。大死に徹することができれば、新しいエネルギーが必ず満ちてくるものだ。死ぬ気になれば死にはせぬ」と。
お釈迦さまでさえ、四苦八苦で悩まれたのです。
「大死」に瀕することは、人生最大のチャンスである場合も多いのです。
もちろん、そのまま、暗黒を見たまま、死んでしまう人もいます。
これをチャンスだと思うか、不幸と思うかです。
大死に瀕したとき、徹底的に死んだ気になるかどうかにかかっているのです。
「もう一度自分の人生を考え直さなければいけない。自分にとって本当に大切なものは何か。自分は今、何をすべきか、そして何ができるか」と天風先生は言います。
自分で理想を掲げ、目的を持ち、計画を立てて、自分自身が仕事を通して成長するような生き方をしていたのだろうか?
人に喜ばれるように、世の中の役に立っていただろうか?
と悩んでみても、アメリカン・グローバリゼーションがはびこり、成果主義がはびこり、成果主義が大手を振り、人間性だとか、個性が軽視され、すべてに「結果」だけが求められる現在になってしまったのです。
これからすすんでいくであろうコンピュータ化、AI化で、人間としての仕事はどんどんなくなってしまうでしょう。
どんな時代になろうと、天風先生の言われるように「どこまでも人間をつくれ。それから後が仕事だよ」ということです。
文明・文化がすすめばすすむほど、増えるのがストレスです。
誰が何と言おうが、ストレスだけは増えることはたしかです。
「人生にはね。自分が知っている以上の大きな消息や事実があるのだよ。自分が何のために生きているのか。何が幸せで、何が不幸せか。そこのところを、落ち着いてよく考えてみることだ」と天風先生は言われました。
「消息」とは、事情、様子という意味である。
人が生きていたり(息)、死んだり(消)することでもある。
つまり世の中には、あらゆるものが生きたり死んでいったりする大きなうねりのようなものがあって、すべてがその波の中で営まれているのです。
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「大死一番(だいしいちばん)」という禅語がある。
そのあとに「絶後再蘇(ぜつご再びよみがえる)」という言葉が続く。
死んだ気になって全力でやってみること、死にもの狂いで何かをすること、そうすれば、本来の自分を見つけることができ、再びよみがえる、ということ。
まさに、「大死底人」だ。
死んだ気になるとは、覚悟を決めることだ。
覚悟を決め、肚を決めれば、勇気がわいてくる。
絶体絶命の危機に瀕したとき…
「大死一番」と、ピンチをチャンスに変えられる人でありたい。 |
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