2018.10.3 |
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すべてを受け入れ、全部に感謝する |
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人生相談家、気楽(きらく)氏の心に響く言葉より…
神社にお参りに行った際に、おみくじを引かれる方は多いと思います。
特に初詣のときには、今年一年を占う気持ちで引かれるのではないでしょうか。
全国、どこの神社に行ってもおみくじはたいていありますが、実は、伊勢神宮にはこのおみくじがありません。
それがなぜだかわかりますか?
理由は、「伊勢神宮を参拝できた人はみな、大吉」だからです。
“伊勢神宮に参拝できた人”とは、“伊勢神宮に呼ばれた人”です。
呼ばれないと伊勢神宮には参拝できないのです。
私の知り合いにも「伊勢神宮に行きたいんだけど…」と言いながら、予定していた日に急な仕事が入っていけなくなったりと、機会に恵まれない人が多くいます。
だから、伊勢神宮に呼ばれ、お参りできただけでも、その方は“大吉”なのです。
おみくじは、楽しんで引く分にはいいのですが、その結果に一喜一憂したり、悪い結果が出たからといって落ち込むのは考えものです。
おみくじで自分の運を“ためす”よりも、運は自分で“開き”いくらでも、“良くする”ことができます。
たとえば、朝、家を出るときに靴のひもが切れました。
「ツイてない」とか、「不吉だ」と思うと、朝から一日、憂鬱な気分になります。
それよりも、「出るときでよかった。これが外出先だったら大変だった。ツイてる」と思えば、気分を害することもありません。
また、駅に行く途中で頭に鳥のフンがポタリ!
「汚いなぁ、なんてツイてないんだ」と思うところを、「落ちてきたのが石だったら大ケガしているところだ。ツイてる」と言って、これで“運”がついたと思うことができれば、なにかいいことが起こりそうな気もしてきます。
さらに、途中で財布を落としたとします。
「最悪だ!なんてツイてないんだ!」と思ったところで財布は返ってきません。
それよりも、「命まで落とさなくてよかった。ツイてる!」と思って警察に届けを出し、カード会社にも連絡するなど、まずは対策ありきで、やるべきことをやります。
財布を落としてお金もなくなったうえに、気持ちまで落ち込んでしまったら、なにもいいことはありません。
対策をとれば被害を最小限にとどめることができますし、財布が見つかって戻ってくるかもしれません。
だからとにかく、気持ちだけでも落とさずにいたほうが絶対にいいことがあります。
結局、「運がいい」とか、「ツイてる」というのは、考え方次第なのです。
起きる現象は同じでも、「ツイてない」と思う心は、また「ツイてない」という現象を呼び寄せます。
反対に、「ツイてる」と言っていると、また「ツイてる」と言いたくなるような現象を呼び寄せます。
これがまさに、「引き寄せの法則」なのです。
物事には、必ず良い面と悪い面があります。
片方だけで判断するのはよくありません。
大切なのは全体をとらえること。
そして、全体に感謝することです。
「大好きな人にフラれた」という悲しい事実の裏側には、「もっとステキな人と出会えるかもしれない」という楽しい事実があります。
「大好きな人と出会い、結ばれた」というしあわせな事実の裏側には、「いつの日か、死か別れのときがくる」というつらい事実があるのです。
だから、その片面だけを見て喜んだり悲しんだりするのではなく、そのことすべてに感謝する。
そして喜ぶべきことも、悲しむべきことも、すべて受け入れるという心のあり方が大事なのだと私は思うのです。
『全感謝する練習』サンマーク出版
「不幸や悲劇が存在しないかわり、幸せも存在しない。
あるのは、目の前の現象を、幸せと思う心で見るか、不幸や悲劇と思う心で見るか、だけです」
と小林正観さんは言う。
病気になったり、ケガをしてしまったとき、「なんで自分ばかりこうなるのか、なんて不運なんだ」、と思う人と、「この程度で済んでよかった、ラッキーだ」、と思う人がいる。
病気やケガという状況は変わらないのに、人によって見方や考え方、捉え方がまるで違う。
病気も、困難も、失敗も、災難も、見方によって180度変わってくる。
松下幸之助さんが若いころ、船から海に落ちてしまったことがあった。
後年それについて、「わしは運が強かった。もし冬の寒いときであったらたぶん助からなかった。夏の日に落ちて幸運だった。わしは運が強かった。さらに船長がすぐに気がついて引き返してくれたので助かった。わしは運が強い」と言ったそうだ。
「運が強い」というのは、「ありがたい」と感謝するのと同じ。
だから、いいことも、悪い(と思われる)ことにも、感謝する。
不幸や悲劇が存在しないかわり、幸せも存在しないのだから。
すべてを受け入れ、全部に感謝する人でありたい。 |
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