2018.5.18 |
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マサカの時代 |
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五木寛之氏の心に響く言葉より…
近ごろ、専門家や情報通と呼ばれる人たちの予想が外れることがしばしばある。
少し前まで私は、その種の「マサカ」には、あまり驚かないほうだと思っていた。
それでも最近、現実に起きる出来事には驚かずにいられない。
メディアを含めて大方の予想が外れ、マサカの現実にぶつかる。
そのたびに、「やっぱり、確実な未来予測などないものだな」、あらためてそう痛感することが増えている。
先年の衆議院選挙でも、一時は小池総理の可能性まで取りざたされたのが、結局は自民党が圧勝したように、先が読めないことがつぎつぎに起こる。
2016年は海外でもイギリスのEU離脱が決まり、トランプ大統領当選があった。
昨今の相撲界の不祥事もそうである。
経済を見ても、株価がバブル崩壊以降で一時最高値を更新する一方で、東芝や神戸製鋼、日産、東レといった大企業が、経営危機や不祥事に揺れている。
自動車業界は電気自動車シフトに雪崩を打ち、AI(人口知能)を業務に導入する大手銀行が、相次いで大リストラを打ち出すようになった。
ひと昔前、就職すれば親戚一同にも鼻高々だった大企業でさえ、一生安泰というわけではなくなった。
まさに時代の大転換期なのだ。
もちろん、いつの時代も「マサカ」という出来事は起こる。
しかし、今の時代はそれが非常にドラマチックな形で、目の前に迫ってきているという実感がある。
「マサカ」の上に「マサカ」が続く、そういう時代だと感じないではいられない。
私の趣味の一つは、十年ぐらい前の経済雑誌を読むことだ。
そこでは、様々な学者やエコノミストが日本経済の先行きを予測しているが、そのほとんどが、外れているのが痛快である。
後になって、自分が間違っていたと反省する本を出された人もいるが、ごく少数派だろう。
本として刊行される大半は、なぜバブルは起こったのか、なぜ崩壊したのか、という後付の話ばかり。
後からの理屈は誰でもつけられる。
そうではなくて、その道の専門家として、十年後はこうなる、という見通しを聞きたいものだといつも思うのだ。
『マサカの時代 (新潮新書)』
五木寛之氏は「マサカの時代」に対する心構えを本書の中で述べている。
『本物の「マサカ」の時代。
その中で、個人にできることは何なのか。
一つ言えるのは、人は自分の死生観を持つべきだということだ。
いま自分が生きていること、やがて確実に死ぬということに対して、自分なりの答えを用意しておかなければならない。』
これからはますます、あらゆる予測という予測が外れる時代に入ってきた。
AIやITなどの急激な進化や、変革が及ぼす影響が読めないからだ。
まさに、「マサカの時代」。
その中で、一つ絶対に確実なことは、「人は生まれたら必ず死ぬ」という現実。
これは、どんな金持ちだろうと有名人だろうと、この現実は免れることはできない。
つまり、どんなことが起ころうと覚悟を決めるといこと。
覚悟を決めるということは、生きている限り、己の人間力を磨き続け、少しでも善き人間となること。
どうせ死ぬのだからと、自暴自棄になったり、享楽的になって努力を放棄(ほうき)してしまっては、この世に生まれた意味がない。
「マサカの時代」
この一瞬一瞬を、一所懸命生き切りたい。 |
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