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2018.4.19

長生きの秘訣


「VAN」創業者、石津謙介氏の心に響く言葉より…

僕は平気で年齢のことを話すので、会う人のほとんどが、

「えっ、本当ですか?」

と驚いた顔を見せ、その次に必ず、

「お若いですね」

とくる。

僕は、この言葉が嫌いである。

言うほうは、お世辞かお愛想か、あるいは本当に呆れ返っているのかは知らないが、言われたほうが、

「てやんでぇ、若いわけがあるはずないだろう。こちとら80半ばを過ぎた正真正銘の爺さんだ」

と啖呵(たんか)の一つも切りたくなる。

自分が高齢者であることは、だれよりも自分自身がよく知っている。

高齢者にとって、いちばん重要な問題は「健康」である。

いくら長生きしようと、健康でなければ、豊かな人生の四毛作目の収穫を得ることはできない。

僕がこの年齢になって、まがりなりにも仕事をし、人生の四毛作目を享受できるのも、体と精神が健康だからであり、健康だからこそ、まだまだ世のために尽くすことができる。

僕は、今の健康を、もし、存在するのであれば神に感謝をささげたい。

また、人からよく、

「長生きの秘訣はなんですか?」

と聞かれるが、僕自身、長生きを美徳とは考えていない。

不遜な言い方で、誤解を受けることもあるが、僕の死に対するモットーは“丈夫で早死に”である。

要は、人生やるべきことをし終えたら、なるべく早く若い人たちに後を譲りたいということだ。

けれど、このモットーも、こう長生きしちゃ、意味をなさなくなりつつある。

長生きの秘訣という問題を真剣に考えてみた。

そこで考えついたのが、人間のストレスを生み出す根元の「執着心」と「欲」を捨て去ることである。

つまり、僕にとって、現在の年齢まで大病もせず、まがりなりにも生きてこられたのは、ストレスを適当に発散させる能力が自身に備わっていたからではないかと思う。

要するに、人間、“いかにストレスを少なくするか”が、若い人にとっても、高齢者にとっても、快適な生活を送るための最重要課題なのである。

もう一つは、常に頭に栄養素を送ることである。

頭の栄養素とは、さまざまな情報のこと。

毎日、克明に新聞を読み、雑誌を読み、評判になっている本を読み、さらにテレビを見、いろいろな人に会って、あらゆる情報を頭に詰め込み、その後、情報を僕なりに選り分けて整理する。

この作業が「思考の動脈硬化」を防いでくれるのである。

好奇心を旺盛に保つのである。

「思考の動脈硬化」とは、今まで自分が体験してきたスタンダードを後生大事に守り、新しいものや情報を、そのスタンダードによってのみ判断することであり、僕は、それがいちばん恐ろしい。

さらに、腰の軽さも重要なファクターだ。

僕は、面白いことがあったり、美味しいものがあると聞けば、すぐにすっ飛んでいく。

その意味ではいたって腰の軽い男である。

人は、高齢者の仲間に入ると、極端に事を起こすのが億劫になるというが、おかげさまで、僕の辞書に「億劫」という文字はないようだ。

自分のことは自分でやるというのもいい。

僕は、たいがいのことは自分でやってのける。

年齢を重ねる毎に、他人との接触が億劫になるという人がいるが、僕は、逆に人と会うのが楽しくて仕方がない。

ただし、同じような年代の人とは、よほど気の合った人でない限り、会いたくない。

というのは、ある年齢を超えた人々の集団の話題は、ほとんど病気の話と家族に関する愚痴ばかりで、気が滅入ることはなはだしい。

老人たちは毎日、病院かゲートボール場で、そんな話をくり返しているらしく、それではストレスが逆にたまって仕方がないと思う。

僕は、そのような場所に出入りすることは願い下げにしていただいている。

ところで、「忘年」という言葉をご存知だろうか?

そう、あの忘年会の「忘年」である。

一般には、その年の憂き辛さを忘れて、楽しく騒ぐという意味にとられているが、実は違う。

本来は、「忘年の友」の「忘年」で、つまり年齢の差など忘れ去って、親しく友として交わるという意味である。

そして、高齢者には、この「忘年の友」、つまり異なったジェネレーションの話し相手が、ぜひとも必要なのである。

若い人の考え方や、自分とは違う業種の人々の話を聞くと、「思考の動脈硬化」が薄れていき、常に頭脳に新鮮な刺激を与えることになる。

特に、相手が異性であれば、他にもっと違った刺激が与えられるはずだ。

新しい友を探しに外へ出かける積極性もまた、長生きの秘訣の一つであある。

『ダンディズムの達人 石津謙介流「人間的な」生きかた、遊びかた』天夢人

安岡正篤氏が「忘年」について書いた一文がある。

『この「忘年」とは本来一年の苦労を忘れるという意味ではない。

年齢を忘れるの意で、漢代の大学者孔融(当時50歳)と禰衡(でいこう)(20歳未満)との交わりを、世人が「忘年の交」とよんだ故事による。

だから、忘年会とは老若席を同じくし年齢を忘れて楽しむのが本当だ。

忘年の交に対し、地位身分を離れて交わる「忘形の交」やまた、「忘言の交」がある。

忘言とは、言葉など忘れた交わりのことで、荘子の「相視て笑ひ、心に逆ふことなし」という境地である。

真実の夫婦・親友にとって議論などは不要のものだ。

忘言の交をまた「忘己の交」ともいう「己を忘るるの人は即ち天に入る」(荘子)だ。

人間は世俗的な自分というものを時に忘れることが必要だ』 (照心語録より)

身分や地位や肩書にとらわれている人との付き合いは、息苦しくて、堅苦しい。

だからこそときに、「忘年」「忘形」「忘言」の交わりが必要となる。

そして、大事なのは、老いも若きも、好奇心を失わないこと。

同時に、腰が軽いこと。

どんなときも、好奇心を失わない人でありたい。


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