2018.4.1 |
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危険な道をとる |
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岡本太郎氏の心に響く言葉より…
人々は運命に対して惰性的であることに安心している。
これは昔からの慣習でもあるようだ。
無難な道をとり、皆と同じような動作をすること、つまり世間知に従って、この世の中に抵抗なく生きながらえていくことが、あたかも美徳であるように思われているのだ。
徳川三百年、封建時代の伝統だろうか。
ぼくはこれを「村人根性」といっているが、信念をもって、人とは違った言動をし、あえて筋を通すというような生き方は、その人にとって単に危険というよりも、まるで悪徳であり、また他に対して不作法なものをつきつけるとみなされる。
これは今でも一般的な心情だ。
ぼくはいつもあたりを見回して、その煮えきらない、惰性的な人々の生き方に憤りを感じつづけている。
ぼくが危険な道を運命として選び、賭ける決意をはっきり自覚したのは25歳のときだった。
パリで生活していた頃だ。
絵描きは絵の技術だけ、腕をみがけばいいという一般的な考え方には、ぼくはどうしても納得できなかったのだ。
しかしそれは極めて危険な問いだ。
芸術ばかりではない。
他の部門のあらゆる専門家、さまざまの企業内の社員でもみんなそうだと思うのだが、この道一筋、ただ自分の職能だけに精進すれば尊敬もされる、報われもする。
それを根本的に疑ったり、捨ててしまえば生きてはいけない。
食ってもいけないということになる。
与えられた枠からはみ出して、いわば無目的的に自分を広げていくとすれば、その先は真暗な未知、最も危険な状況に落ち込むことを覚悟しなければならない。
それは極端にいえば死を意味する。
残酷な思いで、迷った。
ぼくはごまかすことができないたちだから。
そして…いまでもはっきりと思い出す。
ある夕方、ぼくはキャフェのテラスにいた。
一人で座って、絶望的な気持ちで街路を見つめていた。
うすい夕陽が斜めにさし込んでいた。
「安全な道をとるか、危険な道をとるか、だ」
あれか、これか。
どうしてその時そんなことを考えたのか、いまはもう覚えていない。
ただ、この時にこそ己に決断を下すのだ。
戦慄が身体の中を通り抜ける。
この瞬間に、自分自身になるのだ、なるべきだ、ぐっと総身に力を入れた。
「危険な道をとる」
いのちを投げ出す気持ちで、自らに誓った。
死に対面する以外の生はないのだ。
その他の空しい条件は切り捨てよう。
そして、運命を爆発させるのだ。
『自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)』
藤原和博氏は、ITやAIの大きな変化により、10年後には多くの仕事がなくなるという。
その激動の時代を生き抜くには、自分の専門分野とは別の分野に1万時間を投じよ、という。
現在の自分の専門分野と併せてまた別の分野でもプロになると、かなりレアな人材になるからだ。
そして、さらにもう一つまた別の分野、すなわち3つの分野のプロになると、ほとんどマネされない究極のレア人材となり10年後、20年後でも食べていけるという。
それが、岡本太郎の言う「枠を取り払う」ということ。
そして、「危険な道をとる」こと。
もし、仮に自分がもう年配になっていて、危険な道をとることができないなら、せめて必要なことは、若者たちの新たな挑戦や、突拍子もないアイデアをつぶさないことだ。
足を引っ張らないことだ。
そして、応援したり、後押ししたりすることだ。
世界に類をみない革命、明治維新を成し遂げたのは20代や30代の若者たち。
しかし、忘れていけないのはその裏には、彼らを認めたり、応援した、年長者や老人たちがいたから。
あえて危険な道をとる人たちには、未来を切り拓(ひら)くパワーがある。 |
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