2018.3.21 |
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人に喜びを与えるということ |
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植西聡氏の心に響く言葉より…
アメリカに、大富豪になったA氏という人がいました。
彼は、若いころに事業を起こし、成功しました。
それからは、数々の会社を乗っ取り、事業を拡大していきました。
そしてついに、地位、名誉、財産のすべてを手に入れたのです。
しかし、A氏のやり方があまりに自己中心的で、自分の利益の追求しか考えてなかったので、社会的な批判を浴び、人々から嫌われてしまいました。
そして最後、死ぬときになって、
「私の人生は、大変不幸だった」
という言葉を残したのです。
いっぽう、それと反対の人生を送ったB氏がいます。
彼は貧しい生活をしていて、しかも、目も耳も不自由でした。
それにもかかわらず、人々のために世界中を旅し、身体の不自由な人々を励まし続けました。
多くの人々に喜びを与えたため、多くの人々から感謝されたのです。
そして最後、死ぬときになって、
「私の人生は、大変幸福だった」
という言葉を残したのです。
地位、名誉、財産すべてを手にしたA氏が最後に不幸な人生に終わったといい、物質的なものは何も持たずに人のために尽くしたB氏が幸せな人生に終わったというのはなぜでしょうか。
そうです。
人間は、いくら物質的に恵まれていても、人から喜ばれ感謝されることがないと、ほんとうの幸福感は得られないのです。
なぜなら、私たち人間が生を受けたほんとうの理由が「人から喜ばれ、感謝されること」にあるからです。
すなわち、私たちの最高の願望は、財産をつくることでもなく、会社で出世することでもなく、大きな邸宅に住むことでもなく、「人から喜ばれ感謝されることによる幸せを得ること」なのではないでしょうか。
そのためには、人々に喜びを与え続けなくてはなりません。
喜びを与える行為に終わりはありません。
「ここまでやればいいだろう」「もう、これで十分」ということはけっしてありません。
幸福を願うなら、あなたの幸福の泉の水を惜しみなく、人に分け与えることがすべてです。
泉は、絶えず湧き出る水を全部周りに与えてしまうからこそ、涸(か)れることなく、絶えず奥底から、清い水があふれ出るのかもしれません。
人生もそれと同じで、人に幸福を与え続けていけば、自分自身の幸福の泉もけっして涸れることはないのです。
この姿勢が“幸せを循環させる生き方”につながっていくと思うのです。
『(文庫)運のいい人は知っている「宇宙銀行」の使い方 (サンマーク文庫)』
「出入口」という言葉はあるが、「入出口」という言葉はない。
出るのが先で、入るのは後だからだ。
いくら膨大(ぼうだい)な数の本を読んだとしても、それを自分だけの知識としてため込んでおくなら、ただの自己満足にすぎない。
お金も同じで、ただ貯(た)め込んでおくだけなら、その札束は、ただの紙切れと同じ。
知識も、お金も使ってこそ世の役に立つ。
そして、それを人のために使えば使うほど、知識も、お金も入ってくる。
満タンになったバケツに、もうそれ以上水は入らないのと同じ理屈。
ケチな人ほど、自分の得た情報や知識の出し惜しみをする。
人に喜びを与えるという、人が持つ究極の楽しみにまだ目覚めていないからだ。
惜しみなく、人に喜びを与える人でありたい。 |
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