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2018.2.10

どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝に


渡辺和子氏の心に響く言葉より…

私どもの大学の正面玄関に、プロテスタントの牧師、河野進さんが書いてくださった、一つの小さな詩がかけられております。

天の父さま

どんな不幸を吸っても

吐く息は感謝でありますように

すべては恵みの呼吸ですから

学生でいるあいだは不幸の息をあまり吸わせないように、先生たちが配慮をいたします。

しかしながら、卒業をして、その正面玄関を背にして出ていけば、その先にある職場、結婚生活、社会には、往々にして思いもかけないような不幸がたくさん漂っている空気が待ち構えています。

生きていくためには、その空気を吸わなければなりません。

思わぬ不幸を吸い込んでしまったとしても、それをそのままで、吐き出す人になってほしくない。

さらに増幅して、大きな不幸にしてほかの人に吐きかけるような人になってほしくない。

それを感謝に変えて吐き出す人、それがある意味で本当に強い人であり、本当に優しい人だと思います。

ほかの人が吸う空気を汚さない、その強さと、ほかの人を思いやる優しさを学生たちに身につけて欲しいと願っています。

しかしながら、それは決してやさしいことではありません。

私たちが生きていくうえで、この不幸の息をどうしても吸い込んでしまうとしたら、人のせいにしないで、むしろその不幸を自分の中で感謝に変えていく。

そしてそれは、真珠がつくられていくのと同じプロセスだと私は思うのです。

真珠貝というものは、自分にとってあまり望ましくない異物が入ってきたときに、それをいやがって吐き出してしまわないで、その異物の刺激により分泌される液で、異物そのものを軟らかく、そして固く包んでいきます。

それを繰り返し大きくなったものが、真珠になるのです。

同じように、私も自分の生活の中に入り込んでくる異物、不幸を受けとめて、私しかつくれない真珠を自分の一生涯をかけてつくっていきたいと思っています。

苦しいこと、いやなこと、私たちにとってマイナスの価値しか持たないもの、それは必ずしも悪いものではありません。

それがなかったら真珠がつくれないのです。

それがなかったら感謝の息が吐き出せないのです。

そう思うときに、もしかすると、私たちの生活の中にいやなもの、苦しいこと、そういうものがあっても、それを受けとめて自分なりに、自分しかつくれない真珠に変えていける、そのことを、ありがたいと思って生きなければいけないのかもしれないと思います。

毎日の忙しい生活の中で、私たちが木を切る手を休めて斧を見つめるということは、ふだん気づかない、しかしながら身の回りにたくさん転がっているありがたいものをありがたいと気づくゆとりを持つ、ということかもしれないと思います。

『現代の忘れもの (Nature of Nursing)』日本看護協会出版社


「不幸は感謝のかくし味」

断食をしたあとの、食事のおいしさは格別だ。

それが、なにも味のないただのお粥(かゆ)であったとしても、この世にこんなに美味しいものがあったのかと思うほど。

「空腹は最高の調味料」という言葉があるが、空腹があるからこそ、食事をしたときの喜びを感じることができる。

これは、「病気が治ったとき、しみじみと健康のありがたさを感じる」というのと同じ。

病気や、不幸という(世間一般でいう)負の部分があるからこそ、健康や幸福を感じることができる。

つらいことや困難に出会ったとき、不平不満、愚痴、泣き言、文句を言ってまわりの人のテンションを落とすのか。

逆に、どんなに現在不幸にであっても、まわりに感謝し、周囲を明るくする人であるのか。

「どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝」の人でありたい。


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