2017.11.15 |
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熱意を持つ |
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田中真澄氏の心に響く言葉より…
「成功というものには、いろいろな要素があるが、そのなかでとくに大事なもの、それは熱意だと思う」
とデール・カーネギーはいっている。
ご存じのように、デール・カーネギーは世界のベストセラー『人を動かす』の著者であり、いまも続いているデール・カーネギー講座の創設者である。
1955年、67歳で亡くなるまで、カーネギーは、全米一の社会教育家として、その名は広く知られていた。
彼が亡くなったとき、「ニューヨークタイムズ」は、1ページを割いて追悼の記事を掲げている。
それだけ、彼の残した足跡は大きかったといえる。
カーネギーの文献や講座の本質は“熱意”だといわれている。
その彼が存命中、よく講演をともにした人がフランク・ベドガーである。
ベドガーは、生命保険業界の人たちの愛読書『私はどうして販売外交に成功したか』の著者である。
このベドガーは、1888年にフィラデルフィアに生まれた。
貧乏な家庭に育ち、ほとんど小学校さえも満足に卒業しないで、苦労した人である。
うだつのあがらない保険セールスマンだった彼が、デール・カーネギーの演説講習会にたまたま出席したのが転機になった。
カーネギーによって熱意の精神を植え込まれた彼は、それ以来、人が変わったように熱意の人になった。
そして、ついに全米一の保険セールスマンになっていったのである。
彼はいっている。
「世の中で熱意以上に大切な要素はないと思う。
そしてこれが重要視されるのは、おそらくこういう素質をもつ者が少ないからであろう。
どうすれば熱意がもてるのか。
それは唯一つ、『熱意の人になるには、熱意をこめた活動をせよ』というのがそれである」
アメリカには、ポップ・フィロソフィーという哲学のジャンルが確立されている。
大衆に役立つ哲学という意味であり、生活実践哲学といっていい。
カーネギー講座などは、その代表的なものである。
日本でも、学校教育の現場で、もっとポップ・フィロソフィーがとりあげられてもいいのではないだろうか。
私は、高校生とその父兄を前に、幸福になるための実践哲学を講演することがある。
どうしたら熱意をもてるのか、どうしたら明るい行動がとれるのか、どんな人生観をもったらいいのか、といった内容を幸福と結びつけて話す。
学校側は終了後、全員に感想文を書かせる。
私もそのいくつかを見せてもらったことがある。
みんなは、私の動作・表情・姿勢から、何かを学びとってくれるようである。
ある女生徒は、こう書いていた。
「講師が、汗びっしょりで一所懸命に話しているのに驚いた。
あんなに年をとった人でもがんばっているのだから、私も、もっと真剣に勉強しなければいけないと思った」
仕事も教育も、原点は熱意をもってやることだと、この生徒の一文で確信を得た。
『[改訂新版]心が迷ったとき読む本』PHP研究所
昨今は、無我夢中で熱くなってやる人を、カッコ悪いと思うような風潮がある。
そして、クールで表情には出さず、がむしゃらさを見せないような人がカッコいいと思ってしまう。
松下幸之助翁は、「熱意」について多くの言葉を残している。
「なまじ知識があると、しゃにむに突進する気迫が、のうなります。
しかし“断じてやる”と決めて、やってみれば、案外できるものです。
鉄をも溶かす熱意があれば、何とか知恵がわくもんです」
頭で考える理屈の人からは、熱意は伝わってこない。
吉田松陰はそれを「狂愚まことに愛すべし、才良まことにおそるべし」と言った。
狂愚とは、常軌を逸して愚かなことの意だが、熱情に突き動かされて行動したり、情で動いたリ、感極まって動くような人のこと。
才良とは、行動もしないで、ただ理屈や理論を振りかざす、頭でっかちの人のこと。
狂愚の人からは熱意がほとばしり出ている。
熱意の人でありたい。 |
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