2017.11.8 |
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何か方法はあるはずだ |
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医学博士、帯津良一氏の心に響く言葉より…
私のまわりには、西洋医学の常識からいえば信じれないような方法でがんを克服した方がいます。
たとえば、当時39歳だった女性です。
肺がんを患っていました。
手術も抗がん剤も放射線もできないほどの状態で、何か西洋医学以外の方法をやってみたいと私の病院にやってきました。
彼女には、まだ死ねない理由がありました。
幼い子どもがいたので、母として「まだ生きたい」という希望があり、「この子を残していけない」という責任も重く感じていたのです。
漢方薬を飲み、食事療法に取り組み、気功も熱心にやりました。
しかし、経過は思わしくありませんでした。
帰宅したり入院したりを繰り返していたある日、胸水がたまってきて緊急入院することになりました。
腫瘍も大きくなっていて、背中に激しい痛みがあり、食事もとれず、トイレにも行けません。
そんな厳しい状況の中でもあきらめなかった彼女に、まさに神様は微笑みました。
どこで情報を仕入れてきたのか、彼女はバケツに粗塩を入れ、そこへ足を突っ込んで、ごしごしともむ治療法を始めたのです。
大病院の最先端治療で良くならず、漢方薬や食事療法などをやっても悪化してきたのに、粗塩で足をもむくらいで良くなるとはだれも思いません。
ところが、彼女は、この治療法にかけました。
一心不乱に、毎日毎日、粗塩で足をこすり続けました。
すると、しばらくして、足のむくみがとれ、体調が良くなってきました。
そして、半年後にはニコニコしながら退院していったのです。
粗塩で元気になった女性の話は、すぐに病院中に広がりました。
だれもが藁をもつかむ思いでいますから、そういう情報には敏感で、病院のあちこちで、バケツに粗塩を入れて、そこへ足を突っ込んでいる患者さんの姿が見られるようになりました。
この方法で、「私も治った」という人が続出すればすごいことになります。
まさしく、がんの特効薬です。
ところが、そんなことにはなりませんでした。
最初にやった女性のように劇的な回復を見せた人はひとりもいなかったのです。
アンドルー・ワイル博士という、統合医学の象徴のような医者がいます。
彼は、30年以上も前に「人はなぜ治るのか」(日本教文社)という名著を出しています。
その本の中で、ワイル博士は、自分はいろいろな治療法を調べ研究し体験したが、「奇々怪々で、どれがいいのか悪いのか、当惑するばかりだ」と書いています。
そして、彼はこう言うのです。
「絶対に効かないという治療法はない」
どんな治療法にも可能性は秘められています。
「何か方法はあるはずだ」と希望を持って治療法を探してください。
「ただし」と、彼は続けます。
「絶対に効くという治療法もない」
私は、この話は病気の治療だけでなく、健康法でも長生きの方法でも、もっと分野を広げれば、ビジネスで成功するとか、運気を高めるとか、恋愛が成就するとか、子育て法、人づきあいなどにも当てはまるものだと思います。
どんなに単純で稚拙(ちせつ)な方法であっても、うまくいく可能性は必ずあります。
しかし、ある人がこの方法でうまくいったからといって、あるいは理論的にもしっかりと構築された説得力のある方法であっても、それがだれに対しても絶対にうまくいく方法なのかというと、残念ながらそうはいかないというのが、この世の真理なのではないでしょうか。
『いつでも死ねる』幻冬舎
『打つ手は無限』(滝口長太郎)という、素晴らしい詩がある。
「すばらしい名画よりも
とても素敵な宝石よりも
もっともっと大切なものを私はもっている
どんな時でも、どんな苦しい場合でも
愚痴を言わない
参ったと泣き言を言わない
何か方法はないだろうか
何か方法はあるはずだ
周囲を見回してみよう
いろんな角度から眺めてみよう
人の知恵も借りてみよう
必ず何とかなるものである
なぜなら打つ手は常に無限であるからだ」
人は、これができなかったら死ぬしかない、というくらい本気になれば、考えられないほどのパワーがでてくる。
絶体絶命の境地になった人のパワーはすごい。
背水の陣で、決死の覚悟ができ、そこに死力を尽くすからだ。
本気のパワーだ。
神様が応援したくなるような人は、本気になった人。
どんな難事がこようと…
何か方法はあるはずだ、「打つ手は無限」と、決してあきらめない人でありたい。 |
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