2017.10.19 |
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言下に答える力 |
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明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…
《武士たる者は、武道を心懸(か)くべきこと、珍しからずといへども、皆人油断と見えたり。》
(武士たる者が武士道を心がけねばならないということは、格別とりたてて言うほどのことでもないが、すべての人に油断があるように思う)
「武道の大本をなんと心得る」と聞いても、即座に答えらえる武士が少ないことを、山本常朝は「油断している」と語りました。
とりたてて言うほどのことではないが、答えられないのは武道の心がけができていない。
つまり、油断千万だというわけです。
聞かれたときには言下(げんか)に答えることが重要で、「ええと、なんだっけ?」などと言う人は、普段から考え抜いていないのです。
たとえばあなたが「仕事とはどういうものか」と上司に聞かれたとします。
「もちろんいろいろあるだろうが、もっとも君が重要だと思うことは何だ?」と言われたら、何と答えますか。
自分のやっていることに対して確信があるなら、パッと思い浮かぶでしょう。
普段から考えていれば、躊躇しないで答えられるでしょう。
答えは変わってもいいし、一つでなくてもいい。
「今はこれを心がけています」というのでもいいから、とにかく答える。
それが「言下に答える力」です。
私は、大学で学生を教えるときには言下に答える力を要求し、質問には三秒以内に答えるようにと言っています。
採用面接のときでも「これからの仕事の中で大事なこと三つあるとすれば何か」と聞かれて、三つパッパッパッと答えられる人は、普段から仕事について自分自身の答えを持っている人ですね。
作詞家の阿久悠さんがテレビのインタビューで、「歌詞を作る上で大切なことは何ですか」と聞かれたとき、間髪をいれずに「時代です!」と強く答えられたのが、印象に残っています。
何かを考えて準備をし、経験して、これだと思うところに行きつくこと。
それは、自分がつかんだものでいいのです。
どんなことでも「自分なりに定義してみる」というのは面白いことです。
「葉隠には何が書かれてあるか」ということだって、いくつも定義できるでしょう。
ただし、言下に答えられなければ、本当にわかっているとは言えません。
油断があるということなのです。
『図解 葉隠―勤め人としての心意気』ウェッジ
安岡正篤氏は「挨拶」についてこう語る(“安岡正篤一日一言”より)。
「挨拶とはどういう意味かと申しますと、挨も拶も、直接の意味はぴったりとぶつかる、すれ合うということで、従って物を言うのに、相手の痛いところ、痒いところへぴったりと当たる、これが挨拶であります」
挨拶とは、何か気の利いたことをズバッと言うこと。
それが、相手の痛いところ、痒(かゆ)いところへぴったりと当たるということ。
「言下に答える力」と同じで、いつも自分のやっていることに対して、深く考え抜いていないと挨拶も言葉も瞬間にでてこない。
自分が関わる重要なことについて何か急に聞かれたとき、即座に答えられないなら、そこには油断がある。
油断があるとは、ぼんやりしているということ。
言下に答える力を身につけたい。 |
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