2017.9.27 |
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「優しさ」とは何か |
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小林正観さんの心に響く言葉より…
「優しさ」とは何でしょうか。
「優しさ」というのは、力の強い立場にある者が、例えば親が強い立場にあって、弱い立場の子供に「権力を行使しない」ということです。
会社で言えば、上司が、部下に対して強い立場にあって、その強さを行使せずに、同じ目線で同じように話す、というのを「優しい」と言います。
ですから、「優しい上司」という言い方はしますが、「優しい部下」という言い方はしません。
次に「業(ごう)」について考えてみます。
「業」というものは、若い頃、幼い頃、平社員の頃のように、力を持っていないときには出てはこないのですが、それが年を経て強い立場になったときに、突然、弱い立場の者に対して、その力をふるいたくなる。
それを「業」といいます。
ある人が、この業を持っているかどうかは、その人を実際に強い立場に立たせてみないとわからないのです。
ここが、業というものの、面白くもあり悲劇的でもあるところです。
「業がほとばしる」というのは、例えばこんなことです。
■結婚をしたら、夫が突然、婚姻届けという紙切れ一枚で、急に偉そうになってしまう。
結婚したら、夫が豹変してしまった、なんて話をよく聞きます。
人が、子供に対して業が深い威張り方をするかどうか、それはその人が圧倒的に強い立場にある親というものを、実際にやってみないとわかりません。
自分を見つめなおしたときに、「優しさ」が出ているでしょうか、それとも「業」が出ているでしょうか。
私がここで「業」について書いているのは、それが、意外と自分では気づけないものだからです。
だからここで、皆さんが事前に学んでおけば、いつか「業」が出そうになったときに、ハッと気がつけるかもしれないと思ったわけです。
業は「業の真っ只中にいる人」にはわかりません。
入口に差しかかっている人には、まだ、わかるのです。
半分くらいは、元に戻れる可能性が残っています。
だから、外から見ていて「ああ、業が出てきたかな」という人に言ってあげるのは良いでしょう。
けれども、業の真っ只中にいる人には、いくら言ってあげてもわかりません。
特に、ワンマンで、剛腕な社長は、それで過ぎてきてしまっているから、今さら自分で直そうとは思わないのです。
しかし、それを続けていくうちに、だんだんと自分の周りから人がいなくなってしまいます。
人間は、上手くいっていないときには、罠が仕掛けられていないのですけど、上手くいっているときには、実は、罠が仕掛けられているのだ、ということを覚えておいてください。
今までは、穏やかな人格だった人が、何か重たいものを抱え込んでしまって、猪突猛進して生きていくと、周りの人をつらくしてしまうのです。
周りの人がつらくなると、だんだん、人が離れていきます。
「敬して遠ざく」
ということです。
尊敬はするのだけれども、近寄りたくなくなるというふうになってくるわけです。
皆から「くだらない奴だ」と言われている間は、業は、顔を出してはこないのです。
成功して、あなたは、すばらしい人であるとか、すごいとか、役に立っているとか、賞賛を浴びるようになったら、必ず業の芽が現れてきますから、注意しなくてはなりません。
皆さんも、自分の子供に、何か才能があって、上手だねとか、すてきだねとか言うのは良いのですが、同時に、
「その道で売れたときには、威張ってはいけないよ」
と、くれぐれも、若い頃から、繰り返し、繰り返し、何度も言っておいてください。
業が芽生えなくてすみますから。
『楽しい子育て孫育て』Gakken
「業」とは仏教用語だが、身口意(しんくい)の三業 (さんごう) と呼ぶ。
身口意の、「身」とは、身体を使って行うことすなわち《行動》であり、「口」とは《言葉》を発すること、「意」とは《心》で思うこと。
この3つ行為(行動、言葉、心)が、「業」であり、そのことによって、いい結果がでたり、悪い結果になったりする。
日頃、善き行動をし、人を温かくするような愛ある言葉を使い、まっすぐで素直な心があれば、善き結果が出る。
悪い行いをしたり、汚い言葉を使ったり、邪(よこしま)な心があれば、悪い結果が出る。
偉そうにしたり(行動)、怒鳴ったり(言葉)、見下したりする(心)のも、「業」。
『「優しさ」とは何か』
力を行使できる立場になったとしても…
「優しい」人でありたい。 |
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